シュンの日記なページ

当別町スウェーデンヒルズ移住者 ブックレビュー 悪性リンパ腫闘病中 当別オジサンバンドOJB&DUOユニットRIOのVocal&Guitarist ツアーコンダクター 写真 スキー 山 田舎暮らし 薪ストーブ

書初め

 午後、家内は仕事に出かけ、ぼくはますます具合の悪くなった頭を抱えて寝転びながら読書に耽る。水を飲みに階下に下りて行くと、なんと息子が筆を片手に書初めの真っ最中であった。宿題なのだと言う。まあまあの筆遣いで「希望の春」という言葉を書いているのだが、ダイニングテーブルで背伸びしながら縦長の半紙に筆を流してゆくというのは、少し無理があるのではないのか。
 出来上がった頃合いを見計らってまた階下に下りると、息子はコミックの「サイボーグクロちゃん」を読んでいる。書初めの作品のほうは和室に長々と三連で寝そべり乾燥の最中であるらしかった。ところがどれが完成品なのかわからないくらいどれもどこか上手くない部分がある。一番よいと思われるものも一番下ががら空きで全体のバランスが良くない。息子は一番下を折り曲げてしまっており、ここで終わりかと思って無理して「春」の字を小さくしてしまったのだそうだ。
 自分としては、まあ、いいかと思ってしまったが、不意に自分が父に拳骨で殴られながら書初めをやっていた小学校一、二年の頃のことを思い出してしまった。後ろから手のひらごと父親の手にくるまれて、こうだよ、こうっ! と力の入れ具合、抜き具合をこってりとしこまれたのである。しかし自分はいつも半泣き状態となり、いつも習字となると鬼に変わる父のことをそれこそ恐ろしく思ったものだ。
 思えば父は勉強は教えてくれなかった。習字だけ教えてくれたのだと言ってもいい。確かに父は筆自慢であり、ろくすっぽ学校を出ていないのにも関わらず字だけはやたら上手い。だからということもあるだろうが、今になって思えば、ちゃんと居住まいを糾して、真っ白な半紙に向かうとき、生半可な気持ちではなくそのときだけでも真剣になって挑む、そんな時間もあるのだということをわが息子に父は教えたかったのではないだろうか。
 そのためにぼくの字が上手くなったということはないが、今でも筆を持ったりすると少し居住まいを糾したくなるところが自分には確実にある。それが息子にはないのだということ、そのことをぼくは習字によっては息子には教えないのだなということが再認識されたわけだ。
 自分が真剣さを息子に教えたのはサッカーであったり、逆上がりの練習であったり、漢字の練習であったりするし、日ごろの生活の中での挨拶の仕方、言葉遣いであったりする。でもそうした上滑りしてはいけない時間があるということを父は時に怒りによって表わしてみせる存在なのだと思う。
 家内が帰宅してきて、息子の書初めを全部扱き下ろし、すぐさまヨーカドーに半紙を買いに出かけ、帰るや否やすぐに怒鳴り散らしながら書初めをやり直させた。母親とは常にがみがみ言う存在であり、父親は時に思いもかけないときに怒りを露わにする存在であるみたいだ。きっと自然の摂理でそうやって分担されているのだろう。