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正月休みについて

 郵政民営化を見据えてのサービスとして正月二日も年賀状が配達され、これがいわゆるニュースでけっこうしつこく取り上げられているわけだが、戦後高度経済成長期には二日に配達されることは当たり前だったわけだ。
 しかし、当時はセブンイレブンみたいに無休で二十四時間ずっと営業しているような民間の小売店はなかったから、正月三日が明けるまでは買い物もできず、そのために保存の利くおせち料理を前もって用意した。漁師や農家など第一次産業が休むから、市場に物が流通しない。昔はスーパーなんてものはなく、家族規模の小売店がいっぱい並んだ市場や商店街が小売業の形態だったし、そこに物が流れないから、町じゅうしーんと大人しくしていた。
 でもそんな中いわば電電公社郵政公社国鉄の職員は休みなく働いていた。書き入れ時だったわけだ。
 我が家では、家内がヘルパーで午前中仕事に出かけ、午後には遊びに出かけて夕食の時刻まで帰ってこなかった。女性の正月の過ごし方、というのも大きな変遷を遂げたといわざるを得ない。ぼくの母親は自転車にも乗れなかったが、今の札幌では冬場雪の中買い物に出かけたり子供を連れ歩いたりしなくてはならないから、自動車免許が普通に要る。主婦たちはかくしてバスや列車の時刻にとらわれず、どこにでも都合のいいように時間を選んで楽しみに費やすこともできる。
 ぼくは、前職では12月29日から1月5日くらいまで大きな正月休みを取れていた。相手が病院であり、若手のスタッフを残して偉い先生たちはゆっくりと休養を取るから、救急医療くらいしか正月は仕事にならないのだ。
 今では介護保険ビジネスの仕事だから、そうした病院から一時的に家に出された方々の在宅時の便を図ってあげねばならないから、正月休みは12月31日の大晦日と、正月三ヶ日だけ。
 FADVでいろいろ年明けの発言募集をかけても、正月は反応がない。パソコン通信時代のその昔から、正月は意外とアクセスが少ない、と相場が決まっている。実家に帰る、家族サービスに専念する、などアクセス環境にない人が多いのだ。ネットへの接続も正月くらいはやめておこうと、かつて正月には旅行ばかりしていたぼくはそうだったのだが、今ではそういうすべての情報をシャットアウトしてバカンスを過ごすということが最大の贅沢なのだろうという気がする。
 風邪で正月休みを不意にしているこんな過ごし方がやっぱり一番最悪だと思う。