シュンの日記なページ

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二度とゆかないガソリンスタンド

 帰途、勤め先の近所のちょうど手頃な場所に、とても安い値段のガソリンスタンドがあって、しばらくそこで給油をしていたのだが、ぼくは最近そこを敬遠するようになった。そこには若い店員が沢山待機している。吹雪の夜でも中で休んでいるわけではなく、外で待ち構えている。ガソリン単価が安いせいか、とても多くの車が並んでおり、窓ガラスを吹いている途中で、他の車の誘導に行ってしまい、給油は終わっているのに、そのまま何分も待たされることがあった。でも、それはぼくをこの店から遠ざけた理由ではない。もちろん、それだけでも十分に腹立たしいことではあるのだけれども。
 ぼくが嫌なのは、ここの店員たちの縦関係の露骨さだ。二十四、五歳のアルバイトが二十二、三歳のアルバイトを怒鳴りつける。先輩店員は窓ガラスを拭く手を休めてまでも、他の車の給油に取り組んでいる後輩店員を怒鳴りつけに走り出したりする。
 あるいは、ぼくの車の窓ガラスを拭きにかかった後輩店員を、先輩店員が、遠くから怒鳴りつけて違う仕事を優先させるために呼び戻す。そのために、ぼくはやはり中途半端なまま、つまり窓ガラスが中途半端に拭かれたままの状態でそこに待たされる。
 店の合理化のために、店員を教育するというのはかまわない。多少待たされたところで、それで客の皆が幸せになると言うのなら、少しくらいなら我慢してもかまわない。自分が多少とも合理化の恩恵に浴しているのかもしれないと、無理やり解釈してあげてもかまわない。雑巾がいつも使いまわしで、窓ガラスが拭かれるとかえって汚くなるのだけれども、それさえ、雑巾を変えに行くわずかな時間さえ作れずに走り回っている若い店員たちに免じて、許してやってもよい。本当はすべて腹立たしいことではあるのだけれども。
 でも、ぼくが本当に嫌なのは、店員たちの露骨な怒鳴り声と、いじめの強烈なトーンなのである。車のエンジン音や多くの客たちの声よりも、一回り大きな怒声が一方的に支配するその不快な空間だ。
 ちなみにこういうのもいやだ。店主のオヤジが見習い修業中の若者をカウンターの向こうで怒鳴りつけるラーメン屋。大声を挙げて男たちが怒鳴り合う喧騒のスパゲッティ屋。どんなにラーメンやスパゲッティが美味かろうと、こんな店には、ぼくは二度と行きたくなくなる。
 気に入っていた近所の居酒屋でもこんなことがあった。ある日、マスターが、ぼくとの会話を中断してバイトの女の子に厳しい声で叱りつけるのだ。それも何度となく。マスターがぼくに向けてその都度笑顔を復活させたとしても、ぼくのほうは既に作り笑いしかできなくなってしまう。今や、その店のカウンターにぼくが座ることはあり得ない。
 きちんとした料理屋のカウンターで板前が若い修業中の板さんを叱りつける光景はあまり見ない。美味しい寿司屋でも然り、だ。彼らは黙々と美味しいものだけを作っては、客に出してくれる。ぼくは店のマイナーな内部事情などあまり知りたくはないと思う。そんなものを感じさせるというだけで、営業的には失格だと感じてしまう。
 そんなわけで、ぼくは今夜も普通のなにげないガソリンスタンドに入り、リッター5円も高めの料金で給油をする。本当は安い方がいいに決まっている。でもたかだか何百円の差で、これ以上ないような不快を買うという気にまでは、とてもなれない。
 確かにぼくは小遣い銭がなくて困っているけれども、こうしたことばかりは仕方がないと割り切っている。