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B級への慈しみ

crimewave2008-04-21

 ネットのある場所で『デス・プルーフ』を少しばかり知っている人が酷評している。それはいい。問題は酷評の内容である。
 タランティーノも随分と堕ちた、とか、カート・ラッセルも安手のくだらないオヤジを演じているだけ、とか言った本当に酷評し、映画そのものをつまらないと、切り捨てたような内容なのだった。
 酷評している人は、映画に詳しくないどころではない。映画に詳しい人としてぼくは認識していたから、この感想は、少しばかりショックだった。
 この『デス・プルーフ』はタランティーノが、安手のくだらないオヤジを造形したものだし、敢えて子供の頃に刺激を受けたB級のおばか映画を自分の手で作ったものであるはずなのだ。それをストレートに酷評してどうするのだ、というのが、ぼくの思ったことだ。
 二本立ての過激でくだらないB級映画によって、刺激され、映画に取り憑かれてしまった少年タランティーノ。彼が大人になって大人の映画を何本か撮った末に、あの頃の自分のルーツでもある鄙びた映画館の姿を思い起こすことがあって何が悪い?
 それに、酷評の内容にはスタントマンのことが何一つ書かれていなかった。『デス・プルーフ』はスタントマンたちへのオマージュである、ようにぼくは受け止めている。CGではなく、身をもって、命懸けで映画に挑んだ勇士たちへの、確かな尊敬の念があればこそ、『デス・プルーフ』では『激突』『続・激突カージャック』『バニシング・ポイント』『バニシング・イン・60』といったかつてのカーチェイス映画ばかりが懐かしまれるのではないのか。そしてカート・ラッセル演じる安手のオヤジは、少しも安手などではなく、命懸けのスタントに賭けてきたために神経をすり減らした挙句、どこかイカレてしまった、使い古しの元スタントマンなのではないか?
 だから彼を路上で葬る役割をあてがわれたのは、ホンモノのスタントウーマンであるゾーイ・ベルなのじゃないか。『キル・ビル』でタランティーノ回すカメラの前、ユナ・サーマンの代役を命懸けでこなした影の女優への、これは愛情でありリスペクトなのではないか。
 これほど映画の深みに溺れ込んだ、タランティーノならではのこだわりは、小さい頃銀幕で見つめ憧れていた女優であるパム・グリアーをヒロインに起用するという夢を、あの『ジャッキー・ブラウン』で実現した監督ならではのものではないのか。
 B級だから、とこの映画を嘲り、一笑に付し、A級映画の方に立ち去ってゆく自称(これまでは他称もだったのに)映画ファンに、B級なるものへの慈しみが微塵も省みられなかったことによるショックから、ぼくはなかなか立ち直れそうにないのである。