シュンの日記なページ

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五条 弾

 五条弾という人は今は、ぼくらの世界には存在していない……と思う。きっと。たぶん。おそらく。
 かつてFADVに五条弾のハンドル名で名を馳せたSUBSYSであった。フォーラムでは、常に切れ味鋭い本の話を提供する、強烈なほどの一ミステリ読者であった。
 本の話題に餓え続ける、言わばFADVでも本好きの急先鋒であったがゆえに、ぬるい読者層に愛想を尽かし、さらに運営や人付き合いの下手糞なSYSOPに別れを告げ、小気味良いくらいにばっさりと未練を残さずこの場所を去っていった。
 FADVの時代には会社勤めをしていた五条弾は、その後、会社を辞め、別名義でミステリ評論家となり、瞬く間にミステリ読者の間では有名な人となった。信頼感と誠意の感じられる丁寧な評論を書き続けるから、時には、彼の解説が巻末にある事だけを、まだ見ぬ作家への指標とする人にだって、ぼくはよく出くわす。
 その人の日記がホームページで相当の読者層を集めていると思うのだけれど、「もう終わりだね」という往年のフォークソングの歌詞みたいなタイトルの本日の日記の中に、久しぶりに五条弾の素顔を垣間見て、少し驚いた。評論家ではなく、一人の本好きとしての素顔だから、久しぶりに垣間見たのではなく、いつも垣間見ているはずなのだ。しかし今回だけは相当コアな部分に彼の針が振れた。
 FADVでも常にぼくは取り上げてきたのだが、日本で評論という仕事をやるということは、一方で、売るための出版経済の力学に組み入れられることだと思う。少なくとも娯楽小説においてはさらに強烈に力学は働く。
 大学や研究室といった場所から別の給料で発信する評論というのは、経済以外の部分でオーソライズされる必要があるゆえに、好き嫌いを徹底して廃することを意識し、ブンガクの方向へ進む以外なく、だからこそ、ぼくら読者の出くわす評論は世界では二極化しているように見えるのだ。
 学生時代、ぼくはフランス語を専攻していたのだが、英語学科でサリンジャーを取り上げたゼミがあると聞いて、興味本位で(単位とは関係なく)参加していたことがある。そのあたりが二極化した文芸世界における、けっこう中庸に近い経験なのかな、と思えないではない。
 しかし、そのゼミの講師とて、ぼくの知る限りライターでも評論家でもなかったのだ。彼はどこをどう突ついても大学の先生でしかなかった。やはり文筆業というのはもっと他の地平に広がる大変ややこしい経済活動であるのかもしれない。
 というわけで孤軍奮闘の五条弾氏には、ここで踏ん張ってもらいたいし、彼の活躍をもっともっと追跡し続けたい。
 さて、ちなみにサリンジャーのゼミの先生は、あまりにも人気が高いゆえにか、数多い女子ゼミ学生の一人に手をつけてしまい、学内では問題とされたという記憶がある。これはこれで別の経済学の世界が働いて経済的に何らかの解決を模索する以外なかっただろうとは思う。
 もちろんぼくは、サリンジャー作品が好きだったのであって、沢山いる綺麗な女子学生たちを目当てにそのゼミ室に通っていたわけではありませんから。