シュンの日記なページ

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世界でひとつのプレイブック

 予告編を見てとても気になった映画だったので、日曜日に妻と二人では久々となる映画館へ。  内容は、心の壊れた人たちが再生するという一見お堅い話なのだが、主人公たちのはじけっぷりと、笑えるシーンで綴られる飽きの来ない、ビートを感じさせる乗りのいい作品。  原作、脚本が非常に優れているというのもあるが、先に主演男女がそれぞれアカデミー賞男女優賞にノミネートされ、うちジェニファー・ローレンスは、主演女優賞を射止めたどころか受賞の際階段でドレスにつまづき転ぶなどのハプニングでも有名になてっており、さらに脇役にロバート・デ・ニーロ、と演技陣が映画のみどころを作っているのだろうと容易になされる期待値を一切裏切らないところに、この映画の価値のすべては込められているのだ、という気がする。  壊れた心をダンスで再生するのだが、そこには奇妙な恋心、未練、憧れ、過去との精算、親子愛、家族愛、兄弟愛、友情などのいろいろな愛情要素がてんこ盛りで、見るものの胸の奥底を何度でもくすぐってくる状況が映写時間内いっぱいに続いてくる。  ああ、こういう映画をたまに見たいんだよなあ、と思っていただけに、期待にそぐわぬ嬉しいドラマチック・シネマでありました。

 

真鍮の評決 リンカーン弁護士 

 コナリーのメイン・シリーズは、ロス市警のハリー・ボッシュと決まっているようなものだが、時にノンシリーズと思われるキャラクターであれ、メイン・シリーズに登場したり、続編が出たりすることも数多くあるので、『リンカーン弁護士』のミッキー・ハラーが再び登場して、シリーズ化の勢いを見せ、さらにハリー・ボッシュが共演することになろうことも予測の範囲でなければならないのだろう。それにしてもいつもいい意味で裏を欠かれ、ツイストを見せられてしまうのが、コナリーの作法であり、手腕であるのだ。全く侮れない作家である。

 前作のラストシーンを受けて長い休養から復帰することになったミッキーは、のっけから、殺された友人弁護士の仕事を引き継ぐことになる。弁護士の殺害犯を探るヒントは、弁護士の引き受けていた仕事の中にあるだろうことを、ミッキーのみならず警察の捜査官も当然探るはずである。案の定、知人弁護士の職場には、ハリー・ボッシュが事件資料を漁っている姿が。早い段階で二人の小説ヒーローが顔合わせとなり、読者サービスの美味しさに舌鼓を打ちながらページをめくることにになる。

 前作でも見せたとおり、機転の利くミッキーである。一流の法律事務所を経営しているわけではなく、今もなお運転手は弁護料代わりに調達している。31件ある死んだ弁護士の仕事をミッキーは振り分ける。金にならぬ仕事、捜査の困難な仕事は、他の事務所に回す。しかし新聞を賑わしたような有名な事件には飛びつく。そこに大きな罠があるとも知らず。

 コナリーのストーリー・テリングについて今更書き記すことはないと思うが、大船に乗った気持ちでストーリー展開の二転三転ぶりを楽しんでもらえればいいと思う。ましてやボッシュとのやりとりは、そのキャラクターの違いもさながら、お互いのスタンス、距離感などは、味わい深いものがある。事件とは別に彼らの関係にとんでもない真実が見出されるラストでは、少し出来すぎのきらいがあるものの、コナリーだから、ということで容赦してもいいような気がする。

 今後のシリーズ化は占えないものの、少なくともこれで二人の共演は今後約束されたようなものである。楽しみがまた一つ増えたと言っていい。できれば、『わが心臓の痛み』『夜より暗き闇』登場のテリー・マッケイレブのような結末を迎えては欲しくない。

沈黙の町で

 
 
 
 
 
 
朝日新聞出版
発売日:2013-02-07
 
 つい最近、宮部みゆきが超長編大作『ソロモンの偽証』で、中学生の屋上からの転落死を扱ったばかりだと言うのに、奇しくも時を経ずしてこの本が同じ題材を真っ向から取り上げたのが、不思議である。この題材でなければ、ぼくもこの作品を手に取らなかっただろう。

 両作品間の共通項は、多い。両方の作品を読み比べて、世の中の中学生の死、その背景に潜むいじめ、親子関係、教育期間の問題などを取り上げれば、切りがあるまい。双方が、事件(あるいは事故)を通じて、事件現場である中学校を中心にした社会に広がる波紋を取り上げている。事件(あるいは事故)そのものよりも、むしろその波紋の見せる水脈の陰影の濃さをこそ小説の深みとして抱いている気配すら感じられるくらいだ。

 宮部『ソロモン』が見せたと同じように、本書も群像小説の切り口を持つ。特定の主人公ではなく、関わり合う生徒仲間、教師、刑事、検事、父兄などなどの眼線で、物語は構築されてゆく。まるでひとつの町の回転軸となった中学生失墜の遠心力によって、流動的に動かされる360度どこにも隙のない小宇宙みたいに。

 そもそも、奥田英朗という作家が、あまり特定主人公を主体に書く作家というタイプではない。特定主人公を設定したとしても、それはあくまで狂言回しでしかなく、ドラマを回転させる推力となるのは、市井の人間たちであり、彼ら彼女らが巻き起こす悲喜劇こそが、奥田の格好な題材となっているように思える。

 『最悪』など、幾人かの人間たちが追い詰められることによって、交錯し、爆発する作品はまさに特定の人間というよりも、社会の各方面に偏在する人々によって巻き起こされる偶然の悲喜劇であり、誘発される爆発エネルギーである。潜在した不満や欲望を大きな浮力にして界面に大きな氷山のように浮上するパワーみたいなもの、というべきか。

 本書は、宮部の語ったものと似て非なるものであることは言うまでもない。独創的な題材ではなく、今ではむしろ平凡とされているのかもしれない中学生のいじめや自殺という題材をもとに、人間の成長の初期変容段階であるのかもしれない年齢層の異常な行動と、これらが惹起する社会的な風紋とを平易な語り口で描き切るところに作家の魅力がある。

 平凡でありながら、一つ一つの死の持つ重さを認識させられる個の力。それらを見逃さずに述懐する奥田文学の力がこの小説に結晶しているかに見える。地味な市井の人々の思惑と行動で綴られたこの本は、一旦手に取るとかなり離し難い面白さに満ちており、あなたの中に多くの共感や困惑を呼び起こすに違いない。

 まずは人間の心理と事件の真相をめぐって、人間の愚かさと力強さとを再確認して頂きたいと想う。すぐれた人間絵巻が、ここにある。奥田作品の中でも代表作になりそうな力を秘めた一冊である。