敬虔なる夕陽
夕焼けが、好きなので、極めて高頻度にその種の写真をアップしてしまう。夕焼けを見ていると、ミレーの絵の中の人々のように敬虔な気持ちになってしまうことがある。
敬虔、と言えば、新しいパートナーが、とても敬虔なところのある人で、ぼくの自堕落な生活の中に、一定の規律が、少なからず生まれつつある。
二人で佐野厄除大師から貰ってきた札に毎朝、その日の無事を祈ったり、遺族たちの位牌に線香をあげたり、そういう当たり前の習慣をぼくは、全然身に着けていなかった。
神仏に頼るわけではないが、できることはできるだけやってゆく、という前向きな生活の有り様は、否定されるべきものがどこにもなく、ただ、自堕落というものに背を向け、一日を、大切にしようという、敬虔な行為だ。
時に、忘れがちになる感謝の思いや、希望を心に確認させる癖のようなものでもある。
新しい日々は、かように驚きと発見に満ちている。