シュンの日記なページ

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サノ・ラビリンス

 昔、営業で栃木県全域を何年も担当していた。佐野は栃木の入口であり、出口であった。佐野のサービスエリアにある丘の上のベンチや、佐野城跡の石垣の上で、お弁当を食べたっけな。懐かしく若かりし頃。
 その佐野を訪れることになった。

 3ヶ月連続で仕事上のトラブルに見舞われ、もうお祓いしてもらう他ない、との助言が山のように集まる中、奇しくも佐野厄除け大師に向かう友だちと会うことができ、同道させてもらうことになった。車は真赤なツードアのドイツ車。運転もさせてもらったが、小さな車なのにパジェロを動かすような重厚な操作感が、逆に安定感をもたらす感じで、直進性がよく、気持ちのいいアクセリングが楽しめた。マニュアル車だとさらに楽しそう。
 佐野厄除け大師で順番を待つ間、ちょうどお昼時ということもあり、佐野ラーメンを食べることにした。
 同行の友達によると、佐野厄除け大師と佐野ラーメンはセットになっているのだそうである。
 佐野ラーメンと言えば、麺が麺らしくないために、ラーメンの仲間入りを拒絶されることもあるらしいが、ワンタン麺を頼んで食べたところ、ワンタンの皮としっかり対比されるせいか、麺の方は立派なラーメンであるように思えた。
 入った「赤見屋支店」という店には、売り言葉として、数少ない手打ち麺の店です、とあるから、今は製麺で佐野ラーメンがあるのかもしれない。不思議!
この店はあっさりしたスープに、ワンタンもよく似合い、一言で言って美味しかった。酒を呑んだ後に食べると、より美味しいだろうなあ、と札幌狸小路7丁目だか8丁目だかに長らく店を出していた屋台のばあちゃんの顔を思い出していた。
 なお、B級グルメなのだろうが、佐野ではいもフライというのが名物らしい。肉屋でコロッケなんかと一緒に串に刺して売っている普通のポテトフライのことらしいけど。

 

 ↑ 駐車場までしっかり確保されている「いもフライ」の店。

さて順番が来て、いよいよ厄払いへ。お堂の中で護摩を焚く炎の迫力に圧倒され、リズミカルな太鼓や鳴り物の音に刺激されながら、これなら効き目がありそう、と妙に納得することができた。
 厄払いを終えた後は、少し軽くなった体をプレミアム・アウトレットに向ける。
アウトレットはとても混雑していて、新千歳のアウトレットとは全然違う人間の密度に満ちている。特に雪が積もって空気がぴんと張りつめた新千歳のアウトレットは、凍りつきそうになった店が暖気を締め出そうと、ガラス戸を固く閉ざし、その向こう側でひっそりと客を待っているのだ。
このアウトレットはあのアウトレットではなく、明るい顔をした大人たちの周りを、子供たちがはしゃぎ回り、転げ回っている。世界の終わりを数日後に宣告された革命国の国民たちみたいに。残りの数日を大切に明るくふるまうんだとでも誓っているみたいに。
いくつかの普段着をいくつかの店で見繕った後、フードコートに避難し、サーティワン・アイスクリームの長い列に並んで色とりどりの捕獲物にありつく。

 ↑ フードコートは、涼を求める人たちで混み合っていた。

自分が何歳であるのか、ここがどこで、今がいつなのか、ふとしたきっかけですべて忘れてしまいそうに思える、時間。不慣れな場所での不穏な緊張に包まれつつも、魂の中枢だけはどこか鈍く弛緩しているような奇妙なバランスが確保されたような時間が過ぎてゆく。
やがて、ぼくらは立ち上がり、もといた世界に向けてドアを開ける。光が跳ね回る世界の向こうに、日常が、少し眩しい世界のかたちをとって待ってっているのを、何となく感じ取りながら。