シュンの日記なページ

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母の最後の場所

 母の最期の場所であった老人ホームに荷物を取りに行った。母の手荷物は段ボール一箱分。これしか持ち込まなかったし、最後はこれだけで済んでいた生活だったのだ。
 人は旅行く途上で、多くの荷物を抱え込むが、それら荷物は、死の間際にはいつのまにかどこかへ置き去られて忘れられてしまうのだろう。
 そのわずかな荷物のほとんどが衣類であった。数枚を選んで持ち帰ることにした。母の葬儀で棺に入れるのだ。他のほとんどの荷物は処分してくれるように頼んだ。
 そして介護スタッフたちに次のように話をしたのだった。
 母はずっと独りで気丈に生きてきましたが、本来大家族で育ったので寂しがり屋でした。でも子供の世話にはなりたくない、いよいよ動けなくなったら自分は施設に入るから、と常々言っていました。そしてついに自分が認知症であることを認識したときに母は自分で決めて入所をしました。入所後母は、ぼくに、施設にきてよかったよ、自分独りではもうやっていけなかった、ほっとする、と仏様観音様みたいな優しい表情になってこぼしていました。その後、母の認知症はさらに進み、自分がどこにいるかがわからなくなってしまうようでした。ぼくのことも沢山の記憶も、掌から砂が零れ落ちるように、失われてゆくようでした。せっかく降り積もってきた大切な人生のあれこれが、母のなかからどこかに零れ落ちてしまうようで、それは悲しかったけれど、それとは対照的に母は、幸せそうでした。多くの若い介護スタッフたちに囲まれ、元気に車いすを走らせ、廊下中を我が物顔で縦横無尽に駆け抜けていました。
 お蔭様で母は独りきりで死なずに済みました。遠くに住んでいるぼくにとっては、皆様がたは希望でした。母を最後に幸せにしてくれて有難うございました。
 そう話して、ぼくは荷物を抱え、母の最後の場所を離れたのだった。