宿命の女(ファンム・ファタール)
みなとみらいで一日を過ごす。以前、学会展示なんかで来て以来だ。それにしても京浜東北線で各駅に揺られ1時間40分は遠い。朝5時起きは辛い。
帰りの電車のなかで携帯が鳴った。車内では携帯を取らない主義なので、1時間40分かけてさいたまに帰ってから、留守録を聴く。
Mという女性からだった。Mさんは、21年前にぼくの弟が亡くなったときに、葬儀に来てくれた人だ。そのときに初めてお会いしたのだが、弟と親しくしていた人らしい。そのときは彼氏と一緒に葬儀に来てくれたから、弟の彼女ではないと思う。それにしては弟の死をどんな参列者よりも悼んでくれている姿が印象に残った。
弟の死から何年経っても、彼女はときどき母の元を尋ねてきてくれた。もちろん弟の墓に花を供え、ときには塔婆も立ててくれたりした。何度も何度も、何年も何年も、彼女は弟の墓と、老いた母のもとを訪ねてくれていた。彼女はあのときの彼氏と結婚したのだと思う。少なくとも母はそんなことを言っていた。
母が特別養護老人ホームに入所して家が空家になってから、彼女が毎年母に送ってくれていた年賀状は彼女のところに戻ってしまっただろう。
先日、弟の墓のある寺に行った時、Mさんという女性から電話があり、ぼくの母に施設に会いに行ってもいいかどうか、ぼくに承諾を得るために連絡を取りたいという伝言を残していたという。
ぼくは母の古い電話メモを探し出し、Mさんらしき番号に日曜日には電話をかける。生憎、留守電になったからメッセージを残したのだった。
その電話への返事が今夜携帯にかかってきたのだ。
聴くと、彼女は弟の高校時代の後輩なのだそうだ。音楽のサークルで一緒だったのだそうだ。弟の死んだ頃のことを話しているうちに彼女がすすり泣いているような気がした。声がつまったり、かすれたりすることでそれがわかった。
なぜ? なぜそんなに弟のことを忘れずに、いつまでも、まるで永遠にでも悲しんでくれる人がいるのだろうか。ぼくは彼女の心のことがよくわからないけれど、彼女はぼくの(というより弟の)父のことも気にかけてくれたので、彼は3年前に亡くなったと伝えた。もう、ぼくしか残っていないんですよ。弟の家族と呼べる人間は。
Mは、葬儀には行けないけれど、改めてお墓参りにゆきたいと言う。
弟と母が一緒に眠ることになるだろうから、今までどおり是非お墓に来てください、とぼくは答えた。
Mは、弟にとってその距離がどうであれ、宿命の女(ファンム・ファタール)に位置する人なのかもしれないな、と心の中で思いながら。
それにしても母が亡くなって以降、葬儀のことなどもあって、いろいろな人と連絡をとっている。そうすると過去からの細い糸が思いかけぬ形で繋がってゆく。人の心と触れることの多い毎日だ。
今日はオハイオのアメリカ人の叔父にe-mailを送った。
高校のクラスメイトからも葬儀手伝いの承諾の返事があった。メールももらった。
懐かしいネットフレンドからのコメントも有難いです。
ぼくは独りではない。かえって賑やかで忙しい気がしている、そんな毎日だ。