シュンの日記なページ

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サルバドール・ダリみたいに

 ピットインといえば新宿。
 青春の一こまにこんなことがあった。
 マル・ウォルドロンが来日するというので、昼間のうちに整理券を取り、夜のライブに出直した。地下入口からの階段を並ぶ行列ができており、ぼくはその行列の整理券でいえば2番だった。1番目に並んでいたのは、妙齢の女性で、この方と互いにソロでやってきたぼくとは、開演までの長い時間を、マル・ウォルドロインをなぜここに聴きに来たのか、それも整理券が1番2番という熱心さで、というような会話で過ごしたのだった。彼女は聴くと、社会に出たてのぼくよりも3歳ほど年長であった。
 自然、一緒のテーブルに着くことになり(無論最前列だ)、そこでワン・ドリンクでは飽き足らず追加オーダーのバーボンをすすりながら、さらに会話は弾むのだった。
 そしてそれを沈静化させたのがマルのピアノだ。黒く、深く、暗く、どこまでも底なしに沈んで行くかのようなソロ。有名なナンバーが次々と続く。「レフト・アローン」「オール・アローン」「ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ」「キャットウォーク」。
 あたし、今夜はもっと飲みたくなっちゃったな……アンコールを待つ間に整理券1番の女性はそんなことをこぼしたが、ぼくはとてもナイーブで、誘いかと思われるそのセリフにすんなり乗ってゆくことができるほど起用じゃなかった。
 その後タイミングを逸したとは思いながらアンコールの終わりに、どこかに飲みに行きますか? とぼくは尋ねた。
 うん、そうね……彼女はしばらく黙考してこう答えた。そう、やっぱりやめよう。帰ろうよ。
 そうして出口で二人は別方向に別れた、ように思う。記憶は定かではないが、こんな出会いと別れとが、ピットインでなら、あり、だったのだ。
 今日は別に、そのピットインの話をしたかったのではなかった。
 実はわが自転車を、日曜日に、車庫入れ中のパジェロで轢いてしまった前輪ともども、初めてのピットインに出すことになったのだ。4WDに轢かれて呆気なく潰れた前輪のリムは、まるでサルバドール・ダリが意図的に描いた時計みたいに、いびつに屈曲し、スポークもそれぞれが思いのままにダンスを踊っているのだった。
 持ち込んだ先は、実は15年以上も前のことだが、紛れもなくこの自転車を買った上尾の外れにある店だ。探すのに、インターネットでの検索地図と記憶とを散々まさぐらねばならなかった。
 その当時は20代と思われた自転車屋の若主人による、厳格なコンサルティングによって、選び抜かれたぼくのクロスバイクは、今やすっかり年老いてしまっているせいで、同じ前輪リムは現在ではどこにも存在しないという。そんな大切なリムを自分は台無しにしてしまったのかと思うと激しく罪悪感に苛まれる。
 自転車屋の兄ちゃんにしても、確実に中年おじさんと化しているので、なぜか少々ショックだった。人生の疲れを、眼鏡のつるの辺りに滲ませているかに見えた。時の経過がただただ色濃く漂ってしまうひとときだ。
 ダリの絵のような前輪リムも、本体も、すべて預けて、それからぼくは空になった荷台に後部座席をずらして戻し、分厚い雲の下、北本の床屋へと向った。
 先週、息子と尋ね歩いたほうぼうの桜の木は、今週は満開になっているから、懐かしい北本の桜堤通に寄って、写真を撮った。

 今週は、あいにくここには息子はいない。息子が札幌で桜の花を見るのは一ヶ月も後のことになる。雨模様の空の下、桜のトンネルを、ぼくはとても孤独なため息とともに見つめていた。