10秒の会話
携帯にメールが入る。札幌にいる妻からだ。
お袋の具合がかなり悪いと主治医から電話があったそうだ。上司に断り、病院に駈けつける。
お袋と10秒だけ話をした。もっと元気な時にぼくを息子だと認識しなかったこともあるのに、呼吸さえ定かではない譫妄状態の中で、お袋は、今朝主治医が言ったはずの息子の家族が見舞いに来るという言葉を記憶しており、ぼく独りで来訪した違和を即時認識した。
息が苦しいのかい?
うん、眠った方が楽になる。
じゃあ、眠ろうか。
そうやってお袋は白内障の眼を閉じ、皺くちゃの老顔のなかに意識を沈めてゆく。
ドクターから説明を受ける。治療の施しようがないという言葉。弟の死の時にも聞いた言葉だ。ここ数日かもしれない、そうだ。
家族に結果を連絡。会社にも連絡。
夜、会社の行事をすっぽかして家で待機。妻からメールが入る。浦和まで車で出かけ、改札口前で妻子と正月以来の再会を果たす。
パルコの5階でパスタ料理を食べた。鎌倉パスタ。麺が美味いね、と言い、お袋の話をし、地震の体験、関東でも影響は少なくなかった状況などを話す。妻子の顔は新鮮な驚きに満ちている。新聞記事と家族の体験とは違うのだろうな。
明日は、妻子とともにお袋のもとを見舞う。弟の墓参りもきちんと家族でやりなおそうと思う。
樋口毅宏『さらば雑司ヶ谷』読了。強烈なバイオレンス。タブーのない世界。打海文三のような世界構築。エルロイを思わせる暗黒。パロディと軽薄と重厚をブレンドさせた奇妙な世界観。あらゆる意味で独自である。この時点で『雑司ヶ谷R.I.P』でお会いしましょうと、作者はあとがきに書いているのであった。