シュンの日記なページ

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川を挟んだ再会

 彼岸というのはお盆よりも長い。彼岸は春分の日、もしくは秋分の日を真ん中にして前後3日ずつプラスで7日間である。
 お盆と彼岸の違いを知っているか? と職場で質問する人があったが、年輩者たちであってもわからない人が多かった。自分も含め。
 お盆は死者が家に帰ってくるのだが、死者たちが三途の川の向こう岸まで帰ってくるのが彼岸だそうだ。手を振って挨拶することなどはきっとできる距離なのだろう。
 なんだか、被災でなくなった人たちが遺体すら見つかっていないのに、お彼岸を迎えるなんて、やっぱり不自然だ。きっちりと埋葬され、初七日、四十九日、と迎えた上で、彼岸やお盆を迎えたいところなのに、災害は意地の悪い時期を選んでやってくる。
 マンハッタンの911は人災だが、東日本の311は天災である。どちらも彼岸の少し前に起きているところが偶然にしては懲りすぎである気がする。
 ともあれ、彼岸の中日である。
 しとどに雨の降る古い墓地を訪れ、亡き弟に川のこちら側から手を振ってきた。本来は家族みんなで墓参りするべきである。しかし今回も独りだ。申し訳ないな、と呟きながら墓を丹念に洗った。
 水が足りなくなって二度汲んで、タワシやブラシで苔や埃をこそげ落とす。
 花は少し貧弱だったかな、と後悔しながらも、供えて、線香を燻らせ、両手を合わせる。静かな寒さに覆われた森の中の墓地。昔と少しも変わらぬままに、そこは広がり、ひっそりとしていた。
 前回はここで弟への今も少しも衰えない愛情が溢れかえって慟哭してしまったのだった。今回は、冷静に語った。独りで墓に来ると、どうしても弟と語ってしまうのだ。立ち去り難いものを感じながら、線香の煙に鼻を寄せて、そうして三途の川の向こう側にサクソフォンを抱えて立つ三十歳のままの若き弟に手を振り、唐突にぼくは立ち去る。何かを吹っ切るかのように。雨が降っているのも忘れて、傘も差さずに。