シュンの日記なページ

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被災国模様

 一日TVから目が話せない。朝になって露わにされた被災の光景に改めて驚かされたのも一つ。福島原発の事故についてリアルに恐怖を持ってしまったことが一つ。
 買い物に出かける車のラジオで、ガソリンスタンドが早めの閉店、コンビニの食糧が買い漁られて品薄に、などとの情報を得て、びっくり。日本人の買占め癖が早くも始まったか。
 まさにスーパーからはいろいろな食材が消えていた。特にカップ麺コーナーが空っぽなのには驚いた。保存食ってカップ麺? そうだよな。電子レンジは要らない。お湯さえあれば何とかなる、いざとなればそのまま齧りついたっていい。
 お茶ペットボトルコーナーが空っぽになっていたのにも驚いたな。
 鍋をやろうと思ったのだけれど、もちろん松島の方からやってくるいつもの生牡蠣は見当たらない。白菜と豆腐が品切れ。仕方ない。両方とも近所の別口で仕入れることにして、家に戻った。
 被災国だって意識は、諸外国からの援助のニュースによって生まれた。阪神淡路を上回る規模の地震だということで、救援を受ける側に立っているのだなあという改めての日本人としての自覚みたいなものだ。
 明日は早めにスーパーに出かけようか。当日の食材しか買わないぼくには、買占めというのは迷惑なだけだ。
 それにしても様々なニュースで感じるのは、家族や大切な人を失う、あるいは行方がわからないという人々の悲しみへの共感だ。自分の大切な人たちに置き換えればわかる。
 だからこそ被災の現場で見知らぬ人たちが懸命に互いを助けようとする姿には感動する。子供を助け、赤ちゃんを抱き上げる姿。知らない人たちに子供たちを温めてもらいましたと涙ぐむ若い母親の姿。そういう原初的な衝動に基づいて動いている人間の純粋な愛を、被災地からの映像に見つけるたびに、知らず涙が滲んでくる。
 一方で火事場泥棒のような不逞のやからが被災地に現れるのも事実だ。東野圭吾幻夜』のような悪人が現れるのも可能性としては十分だろう。何でもありなのが被災地の現実である。
 買占めだって、自分だけがよければいいという競争原理に基づいた公共精神ゼロの行動だ。火事場泥棒の親戚みたいなものなのだ。買い占めて被災地に送り届けるのでない限り、ただただ見苦しい行動だと思うのである。