シュンの日記なページ

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地震のとき

 ちょうど営業先を探して西大宮北口の工業地区を車でうろうろしているときだった。地図と実際とが照合しにくく、多少道に迷い気味だった。
 いくつかの大きな工場に囲まれた荒れ果てた地形のところで、先行する車が停車。だいたい先行する車がいること自体が奇跡的だ。袋小路のようなところだし、道路と呼べるものでもない。空地のようなところだ。砂利と雑草。かろうじてアスファルトで道路らしきものが延びているが、それもこの場所で途絶える。
 停車した車から女性が顔を出し、きょろきょろし始める。空を見上げている。頭上には張り巡らされた電線。何をしているのだろう。いぶかしんだぼくはハンドルを切ってUターンし、地図を眺めようとする。車を止める。その瞬間突風に吹かれたかのように車が揺れた。
 ごうごうと音がして車が揺れる。風に飛ばされるのか。いや、違う。これは風じゃないのかもしれない。
 背後を振り返る。先ほどの女性が車から出て、地面に這うようにして、携帯を操作している。
 長い揺れだ。携帯を掴む。どこにもかからない。メールもうまく送信できない。気違いじみた揺れがまだ続いている。横目で、どこかの工場の裏に設置された危険物のタンクを見つめる自分がいる。
 でも、この揺れの中を車を発進させるのもイヤだ。
 今、来たばかりの狭い道路に戻って他の車とぶつかり合うのもイヤだ。
 その点、ここは広く、あらゆる建物から離れており、当面、頭上には曇天だけ。落ちてくるものはなさそうだ。危険物の何かのタンクが爆発したり、有機ガスが漏れ出したりしない限り、問題はなさそうだ。それにどこのだれかわからないが、この地獄のような時と場所に、もう一人人間がそこにいて携帯と格闘している安心感は何者にも変えがたい。
 そんなことを思ううちに揺れがやみ、女性は立ち上がると車を降りて、多分目的であったのだろう工場に入ってゆき、やがて出てくると車で立ち去った。その間、当初のような大きな揺れが断続的に繰り返す。あまり公道に出てゆく気になれない。
 ワンセグが繋がらず、ネットも繋がらない中、駅前の区役所に行ってみれば何かの情報が取れるかもしれないと考える。とりあえず走り出す。田畑に囲まれた細い道を小学生の手を引っ張り緊張気味の顔で通り過ぎる母親、祖母たちと数多くすれ違う。近所に小学校があって、迎えの時間だったのか、地震ゆえか、誰もがいそいそと帰宅を急ぐ。愛児たちの生命を大切に守るようにして。
 さいたま市西区役所と埼玉栄高校は隣り合っており、区役所の職員は訪問者も含めて外に出て、災害対策本部のようなものの接地にかかっていた。どうやら中に入ってTVを見るなんてことはできないらしい。ヘルメット姿の職員たちが、テントらしいものを立てる準備に入っている。

 栄高校の校庭には生徒たちが集合している。午後から曇り出した空の下で、今日はとても寒い。これから折を見てバスに乗って帰るのだろう。

 西大宮の駅では駅員が地震による運行停止の張り紙を壁に掲げ、その前で途方にくれたような女子高生が立ちすくんでいる。
 駅前ロータリーで、ふたたび、メール。札幌の妻から返事が来るのに、だいぶ時間がかかった。どうもメール自体もちゃんとは届いていないらしい。災害専用掲示板にも登録し、これは妻のほうが登録しない限り駄目みたいだ。何より北海道は登録エリアから外れているみたいで、少々呆れた。
 夕方、さいたま市の中心部に向う幹線道路はすべて混雑していた。路地から路地を縫って帰社。全員の安否を確認した時点で全員帰宅。もちろん帰宅したところで何も手につかない。TVニュースに釘付けになり、被害状況に驚愕し、なかなか眠れない夜が始まったばかりだった。