シュンの日記なページ

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グッバイ・ロンサム・プレイス

 このワンルーム・マンションで過ごす最後の夜である。
 思えば2009年1月31日、15:30に新潟に着いたフェリーからパジェロで下り立ち、いきなり関越道でのスキー客の渋滞に圧倒されながら、夜21時を過ぎた頃、宮原の管理会社で部屋の賃貸契約を交わした。
 管理会社の担当営業の残業を余儀なくさせるなどの犠牲のもとにようやく手に入れたその鍵で、浦和区のこの部屋に入り込んだのだった。
 その夜は渋滞ドライブの疲れで、翌日の出社が気になっていたこともあって、近所に見えた赤ちょうちんが嬉しかった。焼き鳥屋松ちゃんのノレンだ。
 単身赴任で北海道から渡ってきたばっかりだと言う俺に対し、松ちゃんは嬉しそうに、じゃあ、ここに入り浸ってくれ、と言うのだが、その後もずっと毎夜の如く酔っ払い続ける何人目かわからないが、どうみても水商売崩れの婆さんは、自分の気に入らない客としてぼくを認知したようなので、なんだかいつも早めに自分だけ会計をされたりするなどの迫害に行きづらくなった。今でも思うが、あの婆さんが店にいない方が、客は沢山入ると思う。
 まあ、そんな店しかなかった界隈にも、ようやくすき屋も出現し、そのおかげで何となく多額の借金を背負った車や、文化的貧民の数が、本来ジモティで構成されていたこの界隈に増えた気がする。あまりいいことじゃないよ、すき屋
 でも松ちゃんには月形帰りの前科持ちの甥っ子や、下半身の話しかしない風俗嬢や、地元ごく潰しの成れの果てで、介護保険料を無理矢理騙し取って生活していそうなデブ夫婦などなど、下世話で絶対に同席したくないような客ばかりがやってくるのだった。だから結局あんまり行かなかったけれど、焼き鳥だけは美味しかったな、本気で。
 それはそうと、この部屋で、苦労したのはキッチン・シンクの狭さだ。下手に料理をするものだから荒いものの度に、乾いた食器を置くスペースがなく、水をはね散らかして、湿気た床からいやな匂いがし始めるなどなど、不潔な話もあるのだった。札幌に帰ると、シンクで思い切り水を出して食器が洗える幸せをしみじみと噛み締めるほどだった。
 それに置くに置けないスペースの限界。だから部屋はすぐにとり散らかる。必要なものをどこかに隠すことしかできないインスタントな整理がいつもいつまでもイヤだった。
 だけど月が見える。しかし消防署のサイレンが真夜中に響く。でもいい風が吹く。自転車で駅まで10分でバス停までは20秒。全然悪くない。でも独りぼっちがつらい。それはどこに住んでも同じことなのかもしれないが、狭いキッチンでせっかく焼き上げた何かが俎板ごと床に飛び散る瞬間の泣きたくなるほどの辛さといったらなかったな。何だよ、この狭さは、不便さは、と虜囚のような雄たけびを挙げて涙をこらえる悔しさもあった。
 そんなワンルーム・マンションとようやくおさらばだ。明日は早起きして、箱詰めを完了し、トイレやバスの掃除をしなきゃな。タワシでゴシゴシだ。
 けっ、さらばだぜ、俺のささやかな一年半のねぐらよ!