シュンの日記なページ

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バンド・オン・ステージ

 シュラフの中で眠りを貪っていると早起きしたFさんがギターを奏でる音、そしてユキヒロの夫人でありわがバンドのボーカルでもあるエミーさんが朝食の用意をする音。キャンプ場の朝は、健全な足音の中で迎えられる。フランスパンとベーコンエッグとコーヒー。正しいキャンプの朝ではないか。あちこちで聴こえるバンジョーの音色。ああ、但し、普通のキャンプの朝じゃないことだけは認めよう。
 CRAZY MULEという名前で12:50出演するので、まだ連絡できていない、つまり現地調達のできていないマンドリン奏者S君の捜索に出かけるバンド仲間。S君はぼくと大学が同じで、一年ずれくらい、高校時代からの仲間であるユキヒロがS君の天才ぶりを当時からよく口にしていたため、伝説のマンドリン弾きと逢えることはなんだか気持ちを高揚させる一つの要因になっているようだった。
 さらに現地調達されたベース奏者のTさんは、ユキヒロ曰く、このフェスでも一番の名手だという話である。楽器を生業にしているFさんは攻めのベーラン(ベース・ランニングのこと)とメリハリのついたギターで盛り上げてくれるのだそうだ。
 いつの間にか、我々同窓の三人は楽器界の大御所たちに囲まれているのだった。いいのか?
 午前中は、一通り、助っ人を交えて音合わせを行う。ちょっと一通り曲をやってゆくだけで、皆アレンジやら何やらを編み出してしまうようだ。曲の構成についても諸先輩の意見を取り入れ、直前ながら少しスリムにして盛り上げるように変えてゆく。
 ステージの様子は、だいぶ昔のデジビデカメラで記録しておいたものの、テープが古いせいか、画像が大変もやもや。ネット向けと言える、かも。

 ステージだが、一言で言って、楽しかった!
 32年ぶりのギター・ストラップを肩にかけ、叩きつけていた右手の小指が腫れて痛くなってしまった。バンジョーはチューニングがあるので、その間のMCも進んで引き受けた。シナリオを大まかに考えたが、たどたどしくなってしまった。でも緊張したり上がったからではない。
 いいミュージシャンたちと一緒にプレイできるステージそのものが楽しかったのだ。実際、ユキヒロのバンジョーは楽しみすぎて脱線気味になるところもあったけれど、その際笑顔を交わすなどの明るいステージにはなったように思う。楽器の天才でなくても楽しめる。でも天才たちの楽器を見ていると自分も、もう少し上手くなろうと決意したりもする。それが音楽なんである。
 たった10分のステージだが充実する感覚は、他にないかもしれない。
 そんなわけで、午後はユキヒロ一家とぼくは温泉に出かけた。おんりー湯〜、という名のふざけた名前の温泉だが、立派過ぎて値段も高額で……。入浴料1,800円は、北海道人なら腰を抜かすような値段だ。でも森の木立、木漏れ陽、ステージが終わったあとの充実の感覚と相まって、心がほぐれてゆく。友達というものはそれが32年ぶりの再会であっても、やはりそのまま別々にずっと消えてしまうよりは、やっぱり昨日のことのように今日を続けられてゆくという意味において凄い価値を秘めた存在である。
 そんな感傷や充実については、その夜の幕場で酒を呑みながら、マンドリン弾きのSさんとユキヒロと三人で永いこと、じっくり話ができた。初めて会ったSさんも15年のブランクがあったという。しかし戻ってみればブランクなんかなかったも同然だよ、とSさんは言う。やはり同じような感覚なのだ。
 この日は、夜遅くのステージを沢山見た。Sさんのバンドも。その後、しばらくの間、プロ・バンドたちの演奏が続き、ぼくはそれを一時間ほど見ていて、その後、テント場に帰ったら、二人が永い歳月のことを話していたのだった。この春に、実はユキヒロはバンジョーの師匠を山で亡くしており、このことが二人の話のテーマになっているらしかった。そこを掻き混ぜてしまったのがぼくなのだが、川のせせらぎと炭で焼いたホルモンと、50歳を過ぎた男三人で、しばしの時間はいろいろな切り口を見せてくれたのだった。
 その夜、TさんもFさんも帰ってゆき、Sさんは自分の寝場所へと去り、ユキヒロはドブロを抱え込んだまま、首を落として眠ってゆくので、叩き起こして楽器を仕舞わせるのが大変だった。テントの明かりを消し、楽器をしまい、眠りに就いた。

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 そうそう、数あるバンドを全部見たわけじゃないが、凄いなあと思ったのが原さとしという、日本では珍しいプロのバンジョー弾き。
 
Beneath The Buttermilk Sky

 また彼がサポートをした中村まりという女性は、英語の歌詞でオリジナルを作り続けるシンガー・ソングライターブルースハープを首にぶら下げギターを抱えて、ぼくのすぐ後ろで立ち上がりステージに向うその姿が颯爽としていた。その毅然としたスタイルは歌にもよく現れていた。
 他にも数々のプロ、セミプロ級の人々の演奏を限りなく見ることができる。日本にはこんなにも凄玉がいっぱいいるのだなあ。