親父の墓を探し回る
親父の墓の場所が覚えられない。何度か行ったのに、どうも覚えられない。
一迫から花山へ向う一本道のどこかから南の山に向うのはわかるのだけれど、あまりランドマークのない農地の中の、変わりばえのしない山への道路がどれなのか、本当に選別しにくい。
そんなわけで今朝7:45秋田へ上陸し、東北道築館ICに10:30に降り立ったぼくは、一時間という時間を許容範囲として探し回ったけれど、山へ向う道は違う谷に突き抜けたり、どん詰まりの一軒家で方向転換もままならぬ目にあったりしてけっこう苦労したのだった。
高い石段を登る寺の脇を抜けてもとの一迫の道に向かって降りてゆくと、橋の袂を歩いていたおじいちゃんが、ライトがつきっぱなしだど、と教えてくれた。ついでだから近隣にこれこれこういう墓はないかと聞いたのだが、どうも思い当たらないらしい。
それより世間話がしたいらしく、どこから来たのだと問われ、埼玉というと、埼玉は加須にいたことがあるらしい。出稼ぎに出ていたのかな。ちょうど今のぼくみたいに。
ここにはどのくらい? と聴くと、埼玉からこっちに出てきて75年もいるよ、だと。あらら、出稼ぎではなかったのね、失礼。
でも墓はわからないんだよね。お礼を言ってさらに先を探すと、なんだか見覚えのある曲がり道が。あ、ここだ。細い道を登ってゆくと、一番高いところに霊園はあった。栗駒山の見える丘なのだが、残念ながら今日は曇っていて、細倉鉱山のボタ山しか見えないや。
ちなみに親父の終の棲家となった細倉鉱山は、リリー・フランキーの『東京タワー』が映画化された作品のロケ地である。
下って、次に来る時のランドマークを探すと、あった、あった、なんと水車があるじゃないか。これを目当てにくればいいな。しかし二機ばかり水車のもげた跡があるなあ。次にくるときもこの水車はしっかり回ってくれているだろうか。
そんなことを考えながら親父の死地を後にした。戦地の満州でもシベリア強制収用所でも死ななかった親父がなぜかあっさりと死んでしまった土地である。