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フェイエノールトが未完成

 小野伸二浦和レッズの壮行会を経てオランダに旅立った日から、レッズはその後伸二を取り戻したものの、あの頃の勢いを決して取り戻すことがなかった。現在、清水のユニフォームを着て活き活きとあの頃の勢いを取り戻している伸二を見ていると、あんなにレッズにフィットしていた伸二が過去の亡霊のようで、なんだか親友を失った悲しみみたいなものを感じずに今のJリーグに向き合うことができない。
 伸二がオランダにゆき、フェイエノールトの二年間で、UEFAチャンピオンズカップの優勝トロフィーを掲げるまでの間、ぼくはCSアンテナを自力でセットして毎週、レッズ以外に、初めてと言っていいほどフェイエノールトというクラブのサポーターと化したものだった。
 あの頃のチームメイトが、このワールドカップにやたら顔を連ねているので、しばしばあの時代のフェイエ、あの時代の伸二の楽しかったサッカーシーンのことを、切ない、胸の痛みとともに思い出してしまうのだ。
 デンマークのFWトマソンは伸二が何度もパスを供給したエール・ディビジきっての点取り屋。コートジボワール代表のカルーは右サイドの専門家。オーストラシア代表のエマートンも右サイドを切り裂いて伸二のパスを受ける名手だった。何よりもオランダ代表のエースとなったファンペルシは、当時デビュー間もなく、せっかくの伸二のパスによる絶好機を当時はけっこう外しまくって精神的な若さを露呈していたものだった。
 しかしあの頃の軸であったフェイエノールトの絵の中から南アフリカに集合していないのが、伸二だけなのである。これじゃあの頃、UEFAカップを制したフェイエノールト南アフリカでは完成しないではないか。代表の勝敗とは別に、不世出の天才であり、なおかつあの強かったフェイエノールトのゲームメイカーであった伸二の姿がどこにもないこと、その伸二が最早レッズに戻ることはないだろうと思うにつけ、切なさは心底、ぼくの胸をえぐるのである。
 そう言えば、愛すべき巨人、ファン・ホーイ・ドンクも凄かったっけ。ワールドカップは時計を逆回りさせる魔術のようなものなのだな。