静寂を破る
表参道の青学会館にて研修受講。
青学といえば、大学入試の申し込みまでやっておきながら、それ以前に第一志望大学に受かってしまったので結局受験もしなかった学校だ。きっとこちらに入学していたら違った人生になっていたのだろうなあ。桑田圭祐と同世代だったし、ぼくはバンドを求めてサークルを探していたから、もしかしてサザンの面々とクロスしていたのかもしれない。もちろん相手にされなかっただろうけれども。
とても静かで礼儀正しい一日が終わり、帰路に着く。早速地下鉄を間違え、二駅行ったところで元の駅に二駅戻り、違う路線に乗りなおす。田舎者なのである。
時間が過ぎて、ぼくはいつもの路線を走る電車の一角のシートに座っている。
ふと隣に座っているミセス(だと思う)が体重を預けてきた。その気配に、横を見ると、どうやら本を開いたまま眠ってしまっているらしい。
女性は電車のシートでもなんでも、とにかく綺麗に座ろうとする。たいていは足を揃えてこじんまりと座る。男性は下半身をがっしりと開いて、どてっと尻を寝かせふんぞり返った浅座りをするので、少しくらいうとうとしてもあまりふらつくことはないのだが、女性は綺麗に座ることで重心が不安定になっているから、すぐに上体が倒れてしまうのだ。だからいつの間にか隣の人に体重を預けてしまう形にもなりやすい。
そんなミセスの眠る手の中で、開いている本の小題が見えてしまう。「ナイチンゲール・ラプソディ」。
おおっ! 文庫ではなく、ブックカバーをつけたハードカバーで、つい先日札幌で読んだばかりの海堂尊『ナイチンゲールの沈黙』を読んでいるのではないか。何故か少し感動! 起こしてその先のストーリーを教えてあげたいという余計な衝動に駆られるのを、はしたないと抑制する、もちろん。
しばらくすると、隣のミセスは気を取り直したらしく、また本に挑んで、少しするとやはり睡魔に勝てなかったらしく、体重を預けてしまう。
ぼくもときどきは、うとうとするが、逆隣の遠慮のないオヤジ側に意地の膝開きをしてバランスを整えているので、状態は倒れない。
そんな夢幻の静寂のなか。
『武士道エイティーン』の二人のヒロインが竹刀を交し合うクライマックスシーンをぼくは読んでいる。
駅には何故か急に到着する。熱中していたのか、眠りかけていたのかどちらかだ。
慌てて走り降りしばし歩く。
あれ? 待てよ!
網棚の上に置いてあった別の荷物を忘れている。
走ってもとの車輌に駆け込み、ドアが閉じる寸前でそのまま風のように(しかしドタドタと)駆け下りる。
ミセスが完全に目を覚まし、驚いた顔をしているのが視界の隅に映る。
ははは……。
せっかくの静かな車輌に、ドタドタ旋風を一瞬で巻き起こしてしまった。とっても、ぎりぎりの下車だったのだ。
もしも降りられず、ドアが閉まってしまっていたら、息切れしたぼくは、車内に取り残され、静かに佇む乗客たちや隣にいたミセスから、とても強烈な顰蹙光線を浴びていたのだろうな。そんなことを考えると冷や汗が出た。