独りきりの墓参り
岩槻の打ちっ放しに久しぶりに出かけた。ハンドタオルを持っていってよかった。噴き出る汗を拭いながら水分を取っての二時間打ち放題。ここのところの課題だったアプローチの練習をひたすら。
途中道すがら、墓参りの車の多さに気づき、あ、盆か、と気づき、家に戻り次第、汗でびしょびしょの短パンTシャツを脱いで、こざっぱりした服に着替える。
生協でお布施を入れる封筒、お寺への届け物などを買い込み、弟の眠るお墓へ出かける。寺の長女は同級生なので、いつも届け物を持って挨拶に行く玄関先で話し込む。ぼくの単身赴任、母の入所について話す。
今日は雷雨が来そうだ。
急いで墓にゆき、墓石を水、雑巾、ブラシなどで綺麗にする。丹念に苔を拭ううちに、弟を失った20年前の悲しみが、少しも変わっていないことに気づく。普段はただ忘れようとしていただけで、悲しみはどこにも去ってはいないのだ。
花を手向け、線香に火をつけ、手を合わせたら、雨より先にぽとりと足元に零れる何かがあった。目を閉じ、ヒグラシのなく音の荘厳に包まれていると、永劫を感じる。自分が真裸になったように純なものに戻れる気がする。これが墓参の真髄なのかもしれない。
しかし、それにしても、独りで墓参りなどするものではないな。そう思いながら、余ったゴミを燃やし、手水で消化して、雷鳴の轟く墓を後にした。車を出すと同時に雨がやってきた。