シュンの日記なページ

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最後の日々に何も持たず

 母を見舞う。高齢者施設への入所手続きを済ませる。買ってきた夏物Tシャツを渡す。家族会なるものの年会費を払う。
 ドクターから病状の説明を受ける。ドクターも相当な高齢である。右手がカルテを掴んだ途端大きく震え出すのを直視してはいけないように思い、顔を上げ気味にして、ドクターの目を見て肯くように気をつけた。
 病院に行き、入院当時の保険外料金を病院に支払う。二週間分の入院。少なくない金額だ。
 担当となる施設ケアマネには母の小口銀行口座を作ってもらうよう、銀行印と小遣いを渡す。住所変更も施設に変えることになる。もう母が母の家に戻ることはない。戻っても、生活する道具の大方は去年の夏にぼくが捨ててしまった。こうしてすぐに単身赴任になるのなら生活の土台をそこに築くべく、転勤手当てをいろいろと手を入れることに使っても良かった気がする。今になって思えば。
 母の最後の日々を過ごす場所で、母と小一時間を過ごす。母は前回病院のベッドで向き合ったときよりもずっと元気になっていた。朝はご飯を食べると、麻痺のない方の右足だけで車いすを漕ぎ、広い施設の中を歩き回っているのだった。ご飯もいっぱい食べるみたいだ。ときどきモノを口からこぼすらしい。麻痺の影響やら、病気の影響だという話だ。母は、こちらから会話をしかけても、あまり反応がない。明らかに3年前の母とは違う。母はあの頃、頭も会話も頑迷で強く激しく、その分だけしっかりしていた。
 4月に病院に見舞いに行ったことは、もう母の記憶からは失われていた。今は6月だというと、母はびっくりしていた。アジサイが綺麗だよ、というと、そう、とだけ肯く。前回は桜が綺麗だったんだ。そう。
 孫が高校生になったことも全然覚えていなかった。大切なことというものがじょじょに意味をなさなくなっているかに見えた。何も大切なものなどない、そんな心境になったのかな。何も持たず、身一つで施設で最後の日々を送ろうとしている母を見ていると、いろいろなものへの執着心が喪われているように見える。
 いろいろな時計と物差が、執着心とともに母の内側で消えてしまい、現在だけが母の中にあるようだった。現在、呼吸し、車いすを漕ぎ、眠くなるとベッドに横たわり眼を閉じる。帰るよ、と告げても機械的にじゃあね、遅くなるからね、じゃあね、と何度も口にする。その次の瞬間に母の声はくぐもった鼾に変わった。今日のことを、明日の母は覚えていないと思う。