育った土地に還るということ
実家に寄って郵便物を無人のポストから掻き出す。老母のホーム入所が決まりそうなのでこの家は正式に住人を失うことになると思う。
そこから一投足である打ちっぱなしで、久々クラブを振りに出かける。打席に向うと、小学校から高校まで一緒だったI君がいた。
ぼくは厳密な意味では東京生まれだけれど、小学校二年から大人になるまで育った土地はさいたまである。だからというのではあるまいが、簡単にこうして同級生に会う。三日続けて、山仲間、高校同級生、幼馴染と、過去につきあいのあった人たちと出会っているではないか。
育った土地に還ってくるということはこういうことを言うのだと思う。
思えば札幌には血縁がなかった。だから血縁のない同士で、北海道在住のレッズサポなどはとても結束して気心を通じ合わせていたのだろう。
クラブを振り過ぎて手に豆ができ始めた頃、引きあげて、新都心へ向った。途中見沼から見上げた新都心は過去と未来を繋ぐ象徴的で不思議でとても不釣合いな心象風景のようだった。
i-Podナノの二代目8Gを買った。ついでに自転車屋に寄り、タイヤを直そうとしたが、バルブの付け根自体がチューブから外れかけているという重症だった。チューブのスペアは持っているので、帰宅後直すことにした。i-Podの再同期も完了。
今日は、ぼくのゴルフのメンテナンスに始まり、自転車、i-Podといろいろなものをメンテナンスして回ってきたのかな。母が40年間住んだ家、ぼくが6年くらい住んで、その後帰ることのなかった家のメンテナンスもしなきゃいけないんだろうな。GWには家族に会い、家族たちとの生活のメンテナンスも、中途半端ながらしなくてはいけない。
あちこちが修復作業を要するものばかりになってきたのかな。