シュンの日記なページ

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病棟にて

 自転車でレッズの試合を見る支度をしてから家を飛び出す。雨の予報もあり、傘や雨具もデイパックに詰め込んで背負っている。
 母が入院した先の病院に立ち寄る。病院職員の態度に少し頭にきたのでクレームをつける。何しろ、すぐに受付カウンターに座らされ、書類を提示され、連帯保証人のところにサインをしてくれという。ちょっと待て、人を呼びつけておいて、それでいきなりそれはないんじゃないか。家族なんだからまずは病状の方が心配なんだ、先生の説明も聞いていないし、母親にもまだ会ってもいない状態で、なぜそんな病院都合のことから片付けようとするのかわからない、これまでの対応もよくわからない、誰に聞いても、何ですか? という対応。いったい誰が電話で呼び出してきたのだ、調べて、ちゃんと回答してくれ。
 迫力がようやく伝わったのだろう。担当ケアマネも来てくれて、一緒に病棟に上がると、主治医の先生が待っていた。一見してこの若いドクターは信頼に値した。患者監視装置に母の不整脈が映し出され、心臓や脳のレントゲン写真が目の前に映し出されていた。病状やその原因の説明が丁寧になされた。
 その後病棟に入る。母が横たわり、手をこちらに差し伸べていた。震えるその手を握り締めて名前を告げるとさすがに嬉しそうだった。ありがとうを連発する。息子の高校進学のことを話した。窓の外に満開の桜が見えることも話した。
 その間、いろいろなナースが次々に書類を持ってきてサインを求めてきた。おむつ交換の時間には外のロビーで待った。窓から桜の花が見える。綺麗だった。一週間後に退院できるが、風邪などのちょっとしたストレスでいつ命の日が消えてもおかしくない、それほど心臓の状態が悪くなっていた。ぼくは、長い不和と別居生活の果てに離婚してぼくと弟に相当な負担をかけた両親を若い頃はずっと疎ましく思って過ごした。両親ともに自棄になった家庭で辛い思いをしながら、貧乏をしながら独力で大学を出た。でも、最早や、家を出た父は死に、家に残った母は、病んだ挙句にすっかり老いた。そして前頭葉が老化とともに萎縮したせいか、性格がぼんやりするようになった。感情の激しかった母はもうどこにもいないように見える。だからというのではないが、それだけに、廊下でじっとナースらの処置が終るのを立って待っていると、さまざまな想い出が押し寄せてきて、少しだけ熱いものが込み上げてくる。
 その後母に別れを告げた。母はさよならと言い、ぼくはまたね、またすぐに来るから、と立ち去った。もう、ぼくの中には母に対するいたわりの気持ち以外残っていなかった。
 施設の方にも立ち寄った。テーブルを外に出して、舞台を設け、入所者たちが料理をつまみ、家族や介護職の人たちと一緒に過ごしている。桜祭りだそうだ。静かな賑やかさといったような老人ホーム特有の空気が、春の陽気の中にたゆたっている。
 担当の介護者に挨拶をする。本当はお母さんもこれを楽しみにしていたのに残念でしたね。
 そう、夏祭りの夜にここに母といたのだった。昨年の夏。同級生たちと呑み会を約束していたのが気になっていた。母は話をしているうちに車いすの上で眠ってしまったので、ぼくは知られぬように祭りの夜を後にした。随分遅れて大宮に出ると友人たちの宴は終りかけていたっけ。
 時は過ぎる。人は老いる。風景は変わる。
 見沼田んぼを自転車で通り抜けて埼スタに向う。途中、[さぎ山記念公園:title=さぎ山記念公園]に花見の人出が沢山いて驚いた。小さな子供を遊ばせる若い夫婦たち。若者だけでシートを広げる賑やかな一団。歳を取った人たちだけのひっそりした木陰。池には水鳥。水底には魚の影。
 土手道を桜のトンネルをくぐり抜けて、走った。沢山の家族たちの姿を横目に意識しながら、独りで。