シュンの日記なページ

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気懈い

 懈いの読みは「けだるい」だなどと晦日の日記に書いてしまったのだが、後に『ワルツ』を読み進むにつれ、懈いは「だるい」であり、「けだるい」とするには頭に「気」の字をつけて「気懈い」としなければならないのであった。年を超えたところでまた一つ勉強になった。花村師匠様々です。
 思えば「けだるさ」のようなものを強烈に感じたのは、ぼくの場合、高校二年初夏の頃のことである。ちょうど文学とほざきながら小説を読んでは感化されていた。中身がないから、どんどん読んだものに心も体も則られてしまったのだろう。
 大江健三郎を皮切りに、フランスの実存主義小説などを読むようになり、とりわけカミュの『異邦人』が持つ虚無感などにも感化された。子供の頃はそんな気持ちとは無縁で、ただ喰って、遊んで、育って大きくなるんだという、動物全般的な方向性でひたすら生に対し肯定的だったものが、体が大人になってゆくにつれ、自己分裂を起こし始める。その中で強烈に感じたのが、ぼくの場合は気懈さだったのである。
 倦怠、つまりアンニュイ、などという言葉が当時の時代性もあってか巷でよく聞こえた。ヴェトナムも安保も終息し、過激派の残党が解体してゆき、三無主義の時代と言われた俺たちは、カミュサルトルに血道をあげていた。不健康な志向がロックを好み、煙草やアルコール、アングラ喫茶などに走らせていたのだと思う。

 われらの時代 (新潮文庫) 異邦人 (新潮文庫) 革命か反抗か―カミュ=サルトル論争 (新潮文庫)

 持てるエネルギーの使い道がわからなかったアンニュイの時代。
 そういうアンニュイとは違ったひたすら肉体的疲労を癒す休息の正月休みである。
 フランスから二通のE-mailが届いた。一通は山岳会の後輩でパリ在住。一通は8月に函館の屋台で逢ったカイトとその両親。他にE-mailは数年前にネットでぼくの居場所を探し当ててきた黎明山の会の先輩。ぼくの昔の山行記録にはたびたび顔を出した人である。葉書もいいけれえど、E-Mailは写真も添付されていて、かえって飾らず実直である部分もある。これはこれで嬉しいなあ。
 夜に「プリズナー」6回分を観終わる。5時間40分。三回に分けて観たのだが、沢井鯨の原作よりもかなりスリリングで凶暴に作られていて、はっきり言って面白さではドラマの方が上かと思う。しょうがない。沢井鯨の方は自身が体験したドキュメントを基にした等身大の物語でプノンペンと地名も明らかにされている。ドラマはカンボジアの沖合いに作ってしまった架空の島国だ。現地警察官などがすらすらと日本語を喋る不自然さをさておけば、風景といいテンポといい、毎回楽しめる凝りに凝ったストーリーだった。タイでのロケだそうで、アジアの空気が全編に漲るいい作品だ。

 P.I.P.―プリズナー・イン・プノンペン (小学館文庫)