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Superfly LIVE in Otaru

 ぼくらが70年代に、アメリカから上陸したばかりのロックに触れたのは、野外コンサートや大学祭が主だった。どこも入場料は無料か、低額のカンパなどで成り立っていたように思う。しかし動員力は凄まじく、何よりもライブ会場は熱気がこもっていた。人々は、リズムに合わせて体を揺すり、首を振って、眼はマリファナでもやっているかのようにとろんと、陶酔していた。ロックにはまさしくその力があったのだ。
 そういう力を思い出させてくれるのが、Superflyだ。客との一体感を求めるため、絶えず音と体で挑発し、話しかけるスタイル。これぞライブというあり方をまざまざと見せつけ、否応なく客を惹きこんでゆく。
 今の、客層は、昔の誰もが身を委ね、陶酔したり、気絶したりいた頃とは違う。ある意味、とても健全である。音に合わせて手拍子はしても、酔い痴れるところまでは入り込まず、ある程度自分やライブを客観視できるように思える。70年代の外タレのライブなどでは、客層も70年代だから容易に一体の境地に入り込めるのだが、若い人たちが今持つ音楽とは至ってクールで、なおかつカラオケ・ライクである。
 Superflyはライブにアルバムにロックを持ち込むという基本コンセプトを持っており、これは会場でも志保がMCで宣言している。だからぼくのような70年代男がこの若い娘のパワーに惹かれるし、志保自体はとてもカリスマを持っている。挑発し、共有し、近い距離で演奏し、引きずり込む。
 そんなパワフル・ライブにエキサイトするのが、男ばかりではなく、むしろ若い女性たちであるところも素晴らしい。女性たちがこういう音楽に惹きこまれると、あの時代の不器用だが誠実な歌づくりが、もっともっと現代に甦ることができるだろう。間違いなく音楽環境が進化している現在、あの時代の音楽の魂みたいな部分が合流してくることは、歓迎すべきムーブメントであるように思われる。
 ちなみにライブの前後の時間、会場にかかっていた曲は、ダイア・ストレイツの『悲しきサルタン』、ニコレット・ラーソンの『溢れる愛』(もちろんニール・ヤングの曲だ)、キャロル・キングの『君の友達』などなど。自分の音楽史をなぞられているみたいで、どこかこそばゆい嬉しさを感じてしまう。