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納涼会の夜

crimewave2008-07-26

 友人が実家まで車で送ってくれた。おまけにお茶のペットボトルや汗拭き用のタオルまで貸してくれ、さらには手伝いまで申し出てくれたが、それは丁重にお断りする。気持ちだけで十分です。
 土曜日だから、ゴミ処理施設も半日である。大きな布団やらなにやらを何度も往復して廃棄する。市民の持ち込みはある程度の重量に満たないと無料である。どんな量であれ有料となる札幌市よりもよほど自治体のサービスが行き届いている。
 昼過ぎに頼んでいた大型ゴミ廃棄業者が到着。格安で受けてくれ、しかもいろいろ無理を聞いてもらった。その代わりにホームページをクリックして、検索にヒットするようにしてほしいんですよとのお願いを聞き入れる。なので、是非こちらを見てあげてください。良心的な業者ですよ→リサイクル・セブン
 昨日洗濯を頼んであったレッズサポ仲間が、その後ちょうどよく来てくれたので、蓮田に出かけ、お礼に昼飯をご馳走させてもらう。うなぎの魚庄には独りでは入りづらいこともあり、土用丑の日には親父の命日で寿司を食べていたので、ちょうど良いプランだと思われたのだ。
 その後、実家にある荷物を大量に、母のいる施設に運び込んだ。施設は納涼会の準備で忙しそうだった。
 先ほど別れたレッズサポから財布を置き忘れているよとの電話。レッズサポは甥っ子を連れて川口グリーンセンターに蛍を見に出かけるので、届けることができないという。第二産業道路の通り道に先回りし、何とか財布を回収。自分がバカな為にいろいろと余分な苦労をしている。
 その後、母の通っていたデイサービスを二軒回り、未納料金を支払う。
 すっかり遅くなって17時半開始の納涼会に全然間に合っていないのだが、さらに実家に戻る。弟のレコードや楽器をパジェロに積み込む作業が残っていたからだ。楽器はテナーサックス、クラリネット、フルート。レコードは多量のLPにわずかなCD。18年前の死のままに遺されたレコードたちだ。重さに悲鳴をあげながら、汗だくになって何度もパジェロと弟の部屋を往復する。右上は、積み込んだ荷物の写真。
 家を出て、老人ホームの納涼会に向おうとするところで同郷の同級生より携帯電話に着信。17:45大宮駅待ち合わせって話なんだけれど。彼は言う。既に過ぎている。ごめん、悪い、大幅に遅れる。
 そういってから老人施設へ。
 夕闇がまだ来ない施設前広場にテーブルが並べられ、老人とその家族と、介護サービス職員たちがひしめいている。賑やかに繰り広げられる太鼓、民謡、盆踊り。母を捜す。多くの高齢者。祭り半纏を着せられた母を一角に見つける。
 母は見えない目の向うで驚いている。
 どうしようと思って……母が言う。暗くなって帰れないじゃない。歩ける人はいいけれど、誰もいないと私はバスにも乗れないし、帰れないじゃない。
 お母さんは家に帰るのじゃなく、ここに住んでいるんだよ、とぼくは説明する。だから安心してここにいていいんだよ、と。
 母は、二週間前にぼくがここを訪問したことを覚えてはいなかった。今日の訪問をもおそらくすぐに忘れられてしまうのだろうと思った。母がトイレに行きたいといい、介護職員に連れられて施設内に向け、車椅子を転がされ消えてゆく。夕暮れの風が吹き、太鼓の響きが腹に響き渡る。多くの高齢者がぼおっとした眼差しを前方に固定し、物言わぬ家族たちが、その横で優しげに微笑む姿があり、若い介護職員たちがやけに明るく盛り上げようとはしゃいでいる。心の中が虚ろになりそうだ。
 母が戻ってきて、和太鼓の響きに対して、動く方の右手だけで調子を合わせ、拘縮した動かない左手を叩いている。そのうち母は眠ってしまった。介護職員に告げて、ぼくはそっと祭りの会場を後にする。いろいろなものを背後に振り払うようにして。
 パジェロを友人宅に置き、バスやJRを乗り継いで大宮に出、高校時代のクラスメイトたちに再会したのは21時近くのことだった。皆に声をかけておきながら、一番遅く到着する主役である。中には30年ぶりに再会した友の顔もある。皆との優しい時間が流れ、自分は独りではない、と改めて感じさせてもらえることの幸せを噛み締める、そんな故郷の、夜だった。