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SUPERFLYと1967年

crimewave2008-05-09

 キャロル・キングの名前が、今のFMラジオで音波に乗ることなんて、そうはないだろうと思っていた。
 職場で机の配置換えをするのは現在ではPCのLANケーブルや電源コードの繋ぎ直しという部分で、過去のそれよりもずっとずっと困難で労多い作業となっており、おかげで20時過ぎまでかかってようやく帰路に着くことができた。
 そんな夜の月寒川沿いの土手道を北に向かって走ると、札幌の人気FM局Air-Gから洩れてきたのが、Superflyの志帆の生インタビューだった。彼女は何とキャロル・キングに憧れ、彼女に逢ったことがある! ガーン!
 先日TVの歌番組でミュージック・ステーションで彼女のHi Fiveを見て、パワーとハイテンションぶりにちょっと圧倒されていたのだが、彼女のアルバム内の曲"1967"が続いてラジオから流れてくる。1967年といえば音楽活動をやっていた者にとり、とても意味のある年である。ウッドストックという一語によって。
 そんなウッドストックに憧れる1984年生まれの24歳、身長151cmの女性ミュージシャンが日本にいるんだなあ、と思いながら、"1967"の歌詞に耳を澄ます。こういうのをある意味幸せな瞬間とぼくは感じる。
 志帆は、他にジャニス・ジョプリン、マリア・マルダー、そしてストーンズのファンであり、"Hi Five"も古いロックなんだと言う。いいねえ。いいねえ。と1967年には少し遅れたけれど、ウッドストック出演バンドの多くを自己の青春に絡めてきたぼくは嬉しがる。
 そんな時代に目を向けると、ある夜の情景が思い出される。一度就職したが、大学に入りなおしてドイツ語を学ぶ女性と、ある授業で知り合ったのだが、彼女は4つくらい年上でぼくは二十歳だったと思う。彼女は昼は授業、夜はバイトで忙しいので夜中に遊びに来いと言うので、彼女のアパートを一度だけぼくは夜中に訪れる。彼女は背が高く、骨太で、男勝りで、黒人とヒスパニックとアジアンをミックスしたような大作りな部品でできあがったちょっと珍しい顔立ちだ。女性と一緒にいるというよりは、男同士みたいな雰囲気が濃厚だった。
 サントリー・オールドを呑みながら夜通しベッドの上で(何せ6畳一間だ、エッチな意味ではなくベッドの上で二人で足を投げ出す以外になかった)ジャニス・ジョップリンのレコードを聴いて過ごしたのだ。会話はジャニスを褒め称える内容のみ。おかげで、ジャニスのすべてのレコードをその後ぼくは収集することになる。
 夜明けにぼくは彼女の部屋を出て、自分の部屋に戻り、そうして眠りに着く。何せお互いにさほど深い知り合いではない。もちろん恋人同士でもない。でもそんな親密な夜を、ジャニスの"Perl"が占拠していたのだ。一体あの夜、あれほど音楽に酔い、それでいながら奇妙に醒めていた夜は何だったのだろう。
 さらにある日、出会った長髪の若者と、ひょんなことからニール・ヤングの話になり、そのまま彼の住む赤羽だか王子だか(忘れた)のアパートで、ニール・ヤングのギターコピーを披露し合い、そのまま酔っ払って泊まってしまった。彼とはその夜以外逢うこともなく、今でも彼が一体誰だったのか、よくわからない。
 こうしたことこそがウッドストックという音楽を通じたコミュニケーションに関連した何かだったような気がする。
 ちなみにウッドストックのアーティストで、ぼくがたまらなくこだわり続けた人たちは、以下の通り。
 クロスビー・スティルス・ナッシュ・アンド・ヤング、サンタナジョー・コッカー、ジェファーソン・エアプレイン、メラニー、アーロ・ガスリー、リッチー・ヘヴンズ、マウンテン、ジョーン・バエズ、そして、もちろんジミー・ヘンドリックスである。