シュンの日記なページ

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心は自由で、時には繋がり……

 何だかいろいろなものがすっきりしてきた。
 浦和レッズの話。日本平で逆転勝利。相手の清水がいいチームで、フェアプレイ精神に満ちていて、独創性と主体性溢れる若い選手たちによるダイナミックなサッカーをやるので、ずっと警戒していただけに、やっぱり勝てれば嬉しい。
 阿部ちゃんが乗り切れていないのが気になるけれど(藤本に股抜きくらった!)、細貝や堀之内のちょっとした判断ミスが怖いけれど、早々と山田を梅崎に交代したリと、最近監督のダイナミック・プレイを感じる。このまま山田や岡野をベンチから徐々に下げて、若い連中に経験をさせてあげることが、レッズというチームの基盤作りにはとても大切なことのように思う。
 日本平で勝利を味わうサポたちの顔が印象的過ぎるぜ。彼らは平日の夜遅くだというのに、一向に帰ろうとしない。
 思い出す。草薙でルルがハットトリックをしたというのに逆転負けしてしまい、芝だけの観客席(ゴール裏)で長々と呆然とした夜のことを。家に帰り着いたのが明け方4時過ぎだった。妻が起きていた。どうした? と聞くと、悔しくって眠れなくってと、うろうろしていた。
 昔のことを言ってるんじゃねえ。ゴール裏に行っていた連中は何をやってたんだ、なんていうブログ・サポの無責任きわまる引きこもり発言をネットでよく見かけるが、昔のことが忘れられないからこそレッズサポーターであり続けられるということが、こういう人たちには理解できないのだろうか。自分とは違う考えのサポを批判する姿勢はどうも馴染めない。サポはサポじゃないか。それぞれに違ったレッズとの出会いを経験してきた個人の集合体に過ぎないんだから、集団主義を求めて均一化しようとする無神経なブログには、ぼくはたまらなく違和感を覚える。レッズのゴール裏には小さな無数の少数サポータークラブが集まっているのであり、一つですべてといったアントラーズ・サポ・スタイルではないはずだ。個人の自由意志があの応援でその時間をだけ一体となるから、感動的なんじゃないか。作られ、煽られたスタイルなどは、どこか別のチームにくれてやれ。排他主義に堕するがいい。
 勝ってなお、去ることができず、負けたら当然ながら去ることができない、アウェイの地。記憶から消え失せそうにない、ある強い感情に捉われた土地がアウェイなのである。そうした記憶を静かなエネルギーに変え、百千の言葉よりも一度でも多くゴール裏に足を運び、声を届かせようと、資金を捻出する日々に明け暮れる物言わぬサポらの沈黙をこそ、真に敬え、と言いたいのだ。
 今日の日本平に立ち尽くしたサポたちの表情には、あらゆる意味でそうした強烈な歓喜が見られた。札幌のテレビ越しに見ているぼくは、これを共有したいと素直に思う。サッカーとは、そういう心の繋がりであってもいいと思う。
 今日はエジミウソンがサポのなかに飛び込んでゆくことによって、新たに心のつながりを持てたと思うし、それ以上にベンチも他の選手たちも、メインスタンドから見ていた鈴木啓太もだ、いろいろな意味での心のつながりを持つことができたのじゃないだろうか。
 思想は違ってもいいのだ。温度も違っていいんだ。ほんの少しだけ共有できればいい。自分レベルに達しないサポを排除しようとする不遜なサポこそ、サッカーの持つ毒の部分である気がする。
 今日が勝利の日であったからこそ、日本平のゴール裏に、サポたちのあまりにいい顔顔があり、それを飽かず眺めやった夜であったからこそ、ある種の自閉的ブログ・ライターたちに対し、ささやかながら違和感と苦渋を表明しておきたいと思う。