シュンの日記なページ

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映画の賭博師

 今日、事務所から出て少し車にものを取りに出ると、途端にあられがざざーっと降ってきた。パラパラと軽く降るのではなく、ざざーっと高密度で撒いたみたいに。だから顔や頭に当たって痛い。でも、とにかく雪じゃないのが嬉しかった。少しずつ、やはり春に近づいてる。
 昨夜の続きを見る。黒澤明が、橋本忍を賭博師だと言う。橋本は黒澤に映画の話をするときに競輪に例えるのだそうだ。だから例えではなく橋本はホンモノの賭博師。
 『砂の器』は競輪でいうマクリなんだそうだ。マクリとは、最初はゆっくり走っていて、最後になって大回りして、高いところに上がってゆく。そして落下してゆく加速を利用して一気に前に出るもので、これこそ競輪の醍醐味なんだそうだ。競輪をやらないぼくにはよくわからない部分があるが、何となく『砂の器』がマクリだというのはよくわかる。
 丹波哲郎の刑事に命じられて、若い刑事を演ずる森田健作が線路沿いに這うようにして証拠探しをするシーンがある。前半は、とにかく地味な捜査に終始する物語だ。それをラスト40分、加藤剛がピアノの前に座り、オーケストラが「宿命」を演奏し始めた瞬間から、マクリは始まる。そのまま一気にラストシーンまで雪崩れ込む。
 人形浄瑠璃をヒントに作られたのだそうだ。語りの部分を捜査会議に、三味線の部分をオーケストラに、人形たちの部分を、親子の漂泊の旅に見立て、それを同時間内でぴったりと終らせるのがこつだったのだそうだ。
 松本清張の原作では、わずか一行しか書かれていない。親子が亀嵩に辿り着くまでのことは誰もわからない、という一行。ここに映画があるよ、と橋本忍は、脚本でコンビを組んだ山田洋次に暗示する。このわからない部分を想像するのだ、と。これが、あのラストの旅の部分、つまり親子二人にしかわからない記憶の描写があり、この映像化こそが映画史に『砂の器』を刻み込んだのである。
 橋本忍はマクリはうまくいったのかどうか、自分ではわからなかったという。でも仙台で、不意に女性が追いかけてきて、橋本さん、私、『砂の器』を21回観ました! と言ってそそくさと去っていったのだという。そのとき、橋本忍はマクリは成功したのだ、と気づき、嬉しさがこみ上げたのだそうだ。
 しかし広瀬川に下りながら、橋本の嬉しさは徐々に消えてゆく。マクリは人生で一回決まるか決まらないかのチャンスだから、もう『砂の器』のような映画は一生作れないな、と奇妙な切なさを覚えたのだそうだ。
 橋本忍は、12年ぶりに脚本を書いた。かつてフランキー堺主演でドラマ化された『私は貝になりたい』を、書き直し、映画化したのである。90歳を迎えようとしている巨匠、脚本家。

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 黒澤と橋本の出会い、これは日本映画にとって途方もない価値をもたらした、と山田洋次は語る。ある意味の奇跡である。鋼鉄のような男たち。映画を博打と考え打って出た男たちの物語。
 今夜も胸が熱くなった。