シュンの日記なページ

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1977年のアイスホッケー・スティック

 気温が高い。朝から4度乃至6度ある。雪が解けてそれが夜中に凍りついて、会社に向かうパジェロはときどきブレーキを踏むとABSが作動してしまう。年に5回も作動するかどうかというABSを今日だけで使い切ってしまったかもしれない。
 久々に風邪を治して(まだ咳が出て、喉が腫れて、鼻水が出て、頭が痛いけれど)、会社に出社するとさすが三連休の後の月曜日だ。難問や課題が何とか病み上がりのぼくをもう一度打ちのめそうと、総がかりでやってくる。まあ、いつの世もこんなものなのだけれども。
 ゴルフ・レッスンは休みっぱなしだし、スキー場はまだオープンしていないし、体がなまって、風邪薬漬けになって、このまま駄目になってゆくんではないか、などという恐怖を感じるのは、ずっと延々体を動かしてきた人生のもたらす幻想なのかもしれない。木曜日か金曜日にはきっとレッスンに出かけようと思う。ドライバーを振り回したり、ショートアイアンで夜空に白い弧を描いたりすることで、もっと体調は上向くことだろう。
 そう言えば日曜日の朝、札幌に帰ろうとして飛び乗った京浜東北線で、ゴルフバッグを持った中年女性が乗り込んできたとき、へえ、東京では、電車でゴルフに行く人がいるんだあ、と感心した覚えがある。重たいゴルフバッグを持って駅の階段を登り降りするというだけでも尊敬してしまう。アイアンをカーボンからスティールに替えた時、いきなりバッグ全体がずしりと重たくなったのを思い出すと、ぼくには電車でゴルフに行くことなんて一生ないだろうと思えてしまう。
 スキーだってそうだ。東京勤務時代だってスキーは必ず車でゆくものだった。スキーを抱えて満員電車に乗り込む人が沢山いることに、驚愕と顰蹙を感じていたものなあ。
 一番思い出深いのは、アイスホッケーのスティックを何本も持って軽井沢に向かった電車のことだ。大学の体育でアイス・スケートの集中授業を選択したのだが、行きの電車の中でこんなアイスホッケーのスティックを一体どうしようっていうんだろう、と思っていた。そもそもスケートだってただ流して滑るくらいしかできないのに。
 でも軽井沢スケート・センターで何日かの合宿を組み、毎日スケーティングの基本練習をしていると、三日目にはそれなりにアイスホッケーを楽しめるレベルまで上達してしまうということを知った。ゲーム自体では、夢中になるあまり転倒者が続出し、手が出たりスティックがチャンバラ状態になったりと、次第に戦いの血が疼いて過激になる一方の気配に、先生からついに早めのストップがかかってしまった。「それ以上やると怪我人が出る!」というセリフを未だにはっきりと覚えている。アイスホッケーは素晴らしい! と心の中で叫んだそのときのぼくの気分も。
 帰りの電車ではスティックは何本か折れたせいで少なくなっていた。しかし、自信に満ちた顔でぼくはそれを誇らしげに抱え込み、東京に向かう列車に意気揚々と乗り込んで行ったのだった。

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