我が家のヨーグルト戦争
学生時代、夏休みだったと思うが、一時、明治乳業の戸田工場でアルバイトをしていたことがある。ブルガリア・ヨーグルトの製造ラインだ。ヨーグルトの材料に果実も入るのだが、一定量を作ると原料を変え、例えばストロベリーからオレンジに切り替えたりするときがある。その時しばらくの間は、味が安定しないので規定量を廃棄に回す。味が安定しても、今度は賞味期限の日時印刷のインクの乗りが安定しなかったり、ずれて印刷されたりするものがあるので、これも数ケース分は廃棄に回す。
外には、ヨーグルトのケースが山となって積まれる。
「これはただ捨てるのですか」と訪ねると、正社員が蓋を取ってずずずっと廃棄ヨーグルトを飲んでしまう。
「豚の餌になるんだよ。あ、いくつでも食べていいよ」
そう言われ喜んでぼくはヨーグルトを食べる、というか、スプーンなどはないので、正社員の要領で、容器に口を当ててずずずっと飲み干した。夏の暑い盛りである。少し冷房の効いた倉庫とは言え、シャッターの外に廃棄ケースを出す時には、必ず二三個蓋を取っては、まだ冷たいヨーグルトを飲み干すことにした。中にはちゃんと美味しい果肉も入っていて、店頭に並べばそれなりの値段がつけられるものである。
ぼくは、自分ではプレーン・ヨーグルトを冷蔵庫に常備していて、味付け無しで食べることが多かった。時には瓶入りのブルーベリー・ジャムを買ってきて、少しだけ垂らすこともあった。
結婚すると、家内がプレーンの酸っぱさが苦手なので、冷蔵庫にはブルガリア・ヨーグルトが常備されるようになった。今でも、例えば今日も、ストロベリーとアロエの果肉入りヨーグルトがいくつかずつ並んでいる。ぼくはこれを食べるたびに、ある夏の暑い日々、工場の裏口シャッター前でいくつもいくつも蓋を開けて食べていたあの無価値なヨーグルトを思い出す。ぼくの中ではこれは無料で飲み干すものであり、店で買うものではない、というイメージが消えないのだ。
息子がもう少し成長したら、多数決によってプレーン・ヨーグルトを家庭に復帰させるのだ、とぼくは、常日頃計画している。