皆既月食の夜
息子が塾に行くというのに、皆既月食のことを知らないようなので、ふと教えてあげると、では塾の行き帰りに見て行こうという。でも、今、もう皆既月食は始まっているのだぜ、と教え諭すと、だって月出てないよ、と馬鹿なことを言う。それではと、近所の公園のほうまで少し一緒に出てみる。ほら、あれだよ、あれが月だよ、と赤いまあるい影になって、一見それとはわからない月食の月を示すと、あれっ? あれがそうなの? とけっこうびっくりしたようである。
塾から息子が帰ってきても、ぼくはまだビールを呑んでいた。『CSI 5』のクエンティン・タランティーノ監督版最終二回分がやっとDVDでamazonから届いたので、これに夢中になっていたのだ。なにせWOWOWでは肝心なときにしっかり録画ミスしやがったからね>俺
で、息子よ、帰りにも月食を見て来たのか、と訪ねると、見てきたよ。では一緒に確認にゆこうか、と言うと、もう終わってるよとの返事。窓のカーテンを開けると、先ほどは低空にあった月が、皓々と輝いて中天に浮かんでいるではないか。いつものように。ああ、終わったのか、とさして味わうこともなかった。とは言え5回くらいチェックに出たし、300mm望遠レンズをつけた一眼レフで半分欠けた月食をしっかり撮影したけれどね。皆既月食はさすがに撮れねえよ。
昨日から石森延男の児童文学『コタンの口笛』を読み始めている。先日の花村萬月『私の庭 蝦夷地篇』を読んで以来、北海道の成り立ち、歴史についてはしっかりと知っておこう、と思ったのだ。学者のように研究はできなくても小説を通じて、感覚だけは研ぎ澄ませてみたいな、と思ったのだ。児童文学とは言え、厳しさもたくましさも兼ね備えた半世紀前の小説に、少し驚かされている。自分の求めたものにとても近い作品なので、とても親和性を感じてしまうのだ。今宵の皆既月食直後のほのぼのした満月の白さみたいに。