シュンの日記なページ

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栗駒山の見える丘

crimewave2007-08-07

 息子だけを連れ、さいたまを後にする。岩槻ICで高速に乗り入れ、宇都宮ICで一旦料金所ゲートを潜り、再度乗りなおす。ETCカード通勤割引100km以内を使えば、この区間半額となるからだ。私は極力これを使うようにしている。そのための早い時刻での出発。

 築館ICに昼過ぎに到着し、蕎麦屋で昼飯を掻き込んでから、父の家に出かける。父の使っていたパジェロで遺骨を送りたいとの夫人のたっての希望で私が墓へと運転する。墓地には既に夫人の親戚一同が待っていた。墓石屋が遺骨を墓に納める。骨壷ごとではなく、骨壷から空ける。埼玉の墓では骨壷ごと入れていたのだが、地域によりやり方が違うのだろう。

 栗駒山を悠久に見つめることのできる丘に永遠にやすらかに眠る、とかいう意味の歌を父の字体で刻んである墓石には、既に父の両親、私の弟の分骨した一部が入っており、そこに四人目の死者である父が加わった。私はこの墓には入らぬだろうから、残念なことに父とともに眠ることができない。故人の眠る場所は気になるが、自分の墓はどうでもいいような気がする。海への散骨、と妻がよく言うが、墓のないそんな気軽な死に方でもそれはそれでいいような気がする。

 途中、買出しをして、一同で父の祭壇のある家へ移り、線香を点し、酒食を振舞う。夕方まで箸にも器にも手をつけなかった私は、切り上げさせてもらって、息子とともに鳴子温泉へ出かけた。以前にはみかけなかった福の湯なる日帰り浴場があり、ここを使った。炭酸泉の効能について店主に説明をしてもらった。血管拡張作用が私のような高血圧体質の者にはなかなか効能があるらしい。

 帰ってようやくビールを呑んだが、食も酒も進まぬ。父の思い出話を夫人と交わしている間に、どっと疲れが出てきた。電灯を消して遺影の前で布団を敷いて息子と二人で横になる。夜更けて、戸外は激しい雨音となった。

 そう言えば、息子と約束していた「東京タワー」ロケ地を見る暇もなかった。父が晩年をすごした鉱山町の夜は、あっという間に更けてしまったのだ。