シュンの日記なページ

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墓参の夕

 妻子を連れ出して、母の家と、盆には一足早いが弟の墓参りとに出かける。その前に、蓮田にある魚庄本店へうなぎを食べに行く。北海道にもうなぎはあるが、埼玉の本場ものには比べるべくもない。亡き父がうなぎ好きで、この店にはよく足を運んだと後になって知った。私は地元に住んでいた元会社同僚の女の子からこの店を聴き、当時埼玉在住の若手社員たちでここを訪れたりと、けっこう思い出の店である。濃い緑と蝉時雨が心地よく、元荒川(写真)の岸辺に立てられた創業明治16年という老舗だ。

 うなぎで腹をいっぱいにしてから母の元を訪れる。入退院を繰り返していた足の具合は完治はしていないが、持ち直してはいるようであり、少し安心した。母を取り巻く環境を、午前中とは反対に母の側から考えるための会話を意識的に進めた。そして父の死について、亡き弟の思い出について、母の友人や弟妹たちの死についても話をした。死者の話ばかり。母は81歳だが、周りの不幸を見るとかなり元気なほうであるように思える。でも母の老いとの戦いはこれからが正念場だと私は感じている。

 寺へゆく。住職夫人が私の同級生なので、毎年小中学校時代の知人たちの近況情報をここで仕入れる。会うことはないだろうが、友人たちのその後の人生について気にならないわけがない。

 墓には昨年の命日に、弟の友人であった女性の名で塔婆が立てられていた。弟が死んで17年。弟を思うこの女性は、弟の友人とその後結ばれたが、今も独りでこの墓を訪れる。おかげで弟の墓は、ときに美しい活け立ての花に飾られていることがある。死別とは、生き別れでは得られない永遠の断ち切られた時間と、永遠の惜別の心なのかもしれない。墓を訪れるたびに、ぼくはいつもそう思う。