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オハイオからの旅人

crimewave2007-04-03

 戦中生まれの叔母は完全なアメリカかぶれだった。小さい頃、立川の叔母の家に遊びに行くと、ハーシーズ・バーが必ずテーブルに山盛りになっており、基地から兵隊の彼氏がいつも遊びにやってきていた。彼らは大抵、ベトナムに旅立って行って、そのまま彼女とはお別れになった。死んでか、生きてか、どちらにせよ。

 その叔母は、ついに有望な米兵を射止めて、見事テキサスに渡った。その後、二人の女の子をもうけて、日本に再度駐留することになり、横田基地のフェンスの内側に十年間住んだ。その間、ぼくは叔母の家に通い詰めだった。ハーフの女の子たちが美しかったし、堅いステーキをバーボンで飲み干すのが、若いぼくには、たまらなかった。

 数年前に帰国した折に彼女はどこかのアメフト・チームの分厚くて大きなトレーナーをぼくにお土産として持ってきてくれた。寒いところに越したんだろう、と彼女は言った。彼女だって、今はオハイオに住んでいるので、十分に寒いはずだ。

 その叔母が今、日本にやって来ていると、関東にいる母から連絡があった。最後の帰国なのだそうだ。そうか、母が七十代だ。すぐ下の叔母は、そこに近いかほぼ同じような年齢に達しているのか。

 愕然とした。不良少女だと、弟妹らから悪く言われ、母もそう呼んでいた。でもぼくは彼女が好きでたまらなかった。異国の男を射止め、英語をネイティブで喋り、現にアメリカ人になった人だ。尊敬できないわけがないではないか。

 今日は別件で半休を取っていたので、石狩に足を延ばした。オハイオ五大湖の一つエリー湖が有名だが、石狩の海産物とは少し味が違うだろう。好きだったはずの塩辛やイクラの詰め合わせを母の家に送った。数日後に叔母は母を訪ねるらしい。電話で話をしたくってたまらない。

 彼女にとって最後の日本。海外旅行なんぞになんの興味もないが、彼女に会いに、今度はこちらの方からオハイオに会いに出かけるべきかもしれない。夫のゲーリーにはサッポロ・クラシック・ビールでも土産にして。