シュンの日記なページ

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癒し日

crimewave2007-02-10

 晴れて、主要道路の路面は除雪され、アスファルトが顔を出しており、走りやすい。夏と同じ速度で走ることができるが、それでも交差点を曲がるとき、少し路面に凍りついた雪が残っているときなどは、ABSが作動してひやりとさせられることもある。

 今日は癒し日と決める。午前中は医者にゆき毎月の薬を受け取る。先月の採血結果は、酒の呑みすぎを表す数値が四箇所もオーバーしているが、どれも大したオーバーではなく、問題にならないこともわかっているし、正月の毎日の飲酒が祟ったからだということもわかっている。

 昼前に息子と二人で出かける。石狩図書館(右上写真)に本を返しがてら、予約した本がまだ届いていないことを確認。息子は久しぶりにここに来る。小さい頃は子供の本のコーナーや、お遊びコーナーで遊んでいたが、今ではインターネットをやりたがったり、CDやDVD試聴コーナーをうろついたり、中学生向けのファンタジーやホラー中心の冒険物語コーナーでは熱心に目的の本を探している。

 続いて近所の大きなショッピング・モールに出かけ、ここで玄関ドアの合鍵を作る。妻の鍵が曲がって開かなくなったのだ。それから、モールのゲームコーナーでちょっとだけチョコを稼ぎ、駄菓子屋や雑貨屋を冷やかす。

 モール内にある中華料理のファミレスでランチを食べる。息子の炒飯も私の麻婆豆腐も頗る美味だ。春巻や焼売もセットについており、息子にはドリンク・バーも使わせてやる。関東在住時代、すなわち三十代の頃は、毎週日曜日となると朝からサッカーの草試合をやっていて、昼過ぎに終了すると、皆で同じ系列のチャイニーズ・ファミレスにしけこみ、ここでランチとその後の長い長いドリンクバー・タイムを過ごすのだった。サッカーの話ばかりして日曜日一日を過ごしていた。

 そんなことを思い出しながら、家に帰ると、かけていた鍵が開かなかった。作ったばかりの合鍵でも駄目だった。鍵は二つあり、もう一つのほうは回るから、一つのドア錠が壊れていたのだった。妻の鍵ではなく。

 息子は締め出しを食ったとき三度ばかりキッチンの窓から飛び込んだことがある、といいチャレンジするが、今日はどこもロックされていると戻ってくる。一瞬焦ったが、何度も鍵を試しているうちに、ひょんなことからカチャリと音を立てて鍵が回った。ほっとして中に入ったが、この鍵は使えず、もう一つの鍵を使うしかないだろう。

 午後には、息子は友達の家に勉強道具とゲームを持って出かけ、私は一気堂にマッサージを受けに行った。二度目だから今日からは一回3500円で凝りをほぐしてもらえる。特に、背中のあたりの痛みがひどく、重点的に指圧を施してもらった。時に眠りに落ちてしまい、心身ともにすっかり癒されてゆくのを感じる。90分超を施術してもらっているから、ホテルや温泉での料金よりよほど安く、それに効く。

 夕方、ほぼ全員が同時帰宅。妻は友達と街に出かけていたのだ。大抵は映画かカラオケかショッピングか温泉。夜は家族で食卓を囲む。週末くらいしか時間が合わないが、こういうことが継続しているということだけでも、ほっとする気がする。それともこんな日常の最後の段階で熟年離婚なんていうのを提案されてしまうのだろうか。

 時代は激しく厳しい。だからこそ独りで過ごしたり、家族と過ごしたり、友達と会ったりすることのめりはりをいかに上手に組み立てて心身を健全に保つかが重要なことのように思う。北海道に移住したことの最大の弱みは、昔なじみの友達をたっぷりと関東界隈に置いてきてしまったことだ。サッカーをやる人数の友達を作るだけだって大変なのだが、管理職での転勤移動に友はできにくい。酒場での常連仲間、って辺りが、最も気の置けない話し相手になってしまっていることが、いいことなのかどうかはともかく、それで間に合わせなくてはいけないことだけは事実である。

 上京はいつ? と誘ってくれる昔の仲間が絶えないことも確かだ。こんなときに本当に慰められ、癒される。人は一人で生きているものではなく、多くの人によって生かされているものなんだと、つくづく思う。その意味ではまだ幸せである、私は。