旅する小説
有給休暇を取ってしまった。夏場ならゴルフに使いたい平日休暇だけれど、冬場でも平日の休日というのはいろいろと使いでがある。
まず朝寝。疲労の上に風邪が纏わりついて離れたがらないので、眠っても眠っても、すっきり眼が覚めないのだ。
午前中のうちに通院を済ませ採血。血圧も肝臓もこうしてモニタリングしながら、ぼくは生きながらえさせてもらっている。
午後には、床屋に出かける。担当女性チーフの独り正月沖縄旅行の話を面白がって聴く。プレスリーそっくりさんの芸で盛り上がった話。イルカの肌の触感の話。レストランでテーブルごとマンツーマン独占してしまった料理人の半生談に耳を傾けた話。旅のさなかで読んでいたという立花隆『証言・臨死体験』の話。昔、ぼくが読んだ『臨死体験』のダイジェストみたいなものみたいだ。帰り際にこの文庫本をぱらぱらとやってみるが、『臨死体験 上・下』とどこが違うの? と聴かれても、そんな細かいことは覚えていないので答えることができない。
いずれにせよ、今日聴いた話は、まさに旅の小説を書こうというときにまず設定の面白さとして使えるなと考えた。何しろ正月に独りで旅をするということは、とにかく周りの眼が気になるそうだ。変な女だと思われたくない自意識もあるので、何か撮影に来ているようなポーズとしてビデオやカメラを片手に持って歩く。でも方向感覚がないので、すぐに道に迷ってしまう。独りで食事を取れる店がなかなか見つからない、などなど、女性独りならではの苦労話は、なかなか男には想像し難いもののようである。
というわけで、早速書き出してみる。沖縄には行ったことがないので、当然、北海道を舞台にしてしまう。職業も、何もかも原型をとどめないつもりで、三十女の独り旅という設定の面白さだけで自由に書いてみよう。
窓ガラスを隔てた戸外は、ただ白くくすんで見える。どこまでも白いだけの風景が広がるばかりだ。響子は、フォークを置いて、ため息を吐く。
声だけが周囲を領している。複数の声。男の、女の、子供たちの、声が、言葉が、交じり合って、一つの巨きな獣の長く続く欠伸みたいに聴こえている。巨大すぎていつ呼気から吸気に移るのか、見当もつかない長さの息みたいに。独りでは決してもたらすことのできない、大勢の人々のパワーを少なからず感じては、ますます自分の居場所がなくなってしまいそうな孤独に、今にも圧倒されそうになる。
湖に面したこのホテルが、この季節に観光客でいっぱいなのは、最初から予測できた。正月休みを利用する家族連れでいっぱいだということも。女性が独り、こうしたレストランで、しかもバイキングの料理をつついいること自体、とても珍しいということは、最初からわかっていたはずだった。
だけど、こうして、いくつもの家族が夕食を楽しむ大きなレストランで、窓辺のテーブルに追いやられ、独りで料理をつついていると、改めて自分の異質さが周囲から浮き立ってゆく。窓の向うにしか、響子は眼を泳がせることができない。窓の向うには、雪の白さで半ば閉ざされた、ただの茫漠とした湖しかありはしないのに。
んー、われながら臭い。
でも、この先の展開によっては如何ようにもなるのだろうな。しかし、一人称で書き出したほうが楽だったかも……、などとつれづれ思い悩むのであった。三年くらいかけて、とにかく書き続けてみるとするか。床屋に行くたびにネタは取材できることだし……(笑)。