シュンの日記なページ

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亡き友の歌を聴きながら

 今日、鈴木一記のCDが届いた。正確に言えば、昨日不在通知を受け、今日郵便局に取りに出かけたのだ。昔のLPレコードにボーナストラックとして、わがカセットテープから復活させたティーン・エイジャーの頃の音源がCDの曲となって甦っていた。一記と二人で練習した日のこと、ステージに上がった日のこと、そういった記憶がまざまざと甦り、今夜は彼の歌を聴きながらじんと深いところで思いを泳がせていた。

 一記の弟とメールでやりとりしたとき、実はぼくもミュージシャンの弟を若い頃亡くしているという共通点について話し合った。弟はサックスとクラリネットを吹いてついにプロになったばかりだった矢先、バイクの事故で死んだ。死ぬ前にぼくの住む新婚の家の一番近い病院に運ばれたために、ぼくは一晩まだ意識のある弟と大切な時間を祈るように過ごすことができた。ずっと永いこと一緒に住んでいたときからろくすっぽ話もしなかった弟と、あんなに一緒に過ごしたことは幼い時以来絶えてなかった。だからこそかけがえのない一夜だった。弟の乾いてやまない唇を脱脂綿で湿らせてあげると、彼は喉が渇いたと呟き続け、夜明けに譫妄状態となって意味のない単語を滅茶苦茶に並べ始めた。急におしゃべりになったあの時間、弟の脳には多幸効果があったに違いない。彼は微笑を浮かべて、そのまま総合病院に搬送され、処置のすべもなく朝のうちに逝ってしまった。

 一記はというと、亡くなる一週間前に、彼に呼び出されて喫茶店で二時間も話したのだった。お互いに二十歳だった。音楽のこと。本のこと。青春のこと。学校のこと。半年も会っていなかった一記とはいつもこうして永いこと話をして過ごした。今思えば、あれはあれで大変に貴重な時間だった。その七日後に彼がこの世からいなくなるなんて思ってもみなかっただけに。

 死者たちは死ぬ前に必ずぼくに別れを告げに現れる。そんなことを不思議に思いながら、今日、彼の歌を聴いていることの不思議さをもまた味わっている。誰もが孤独ではなく、誰もが独りではなく、誰もが繋がっているのに、そうしたことをきちんと理解しないうちに死んでいってしまう夭折者たちがいる。今、多くの若い死者たちが新聞紙面を賑わしているが、そうした痛みを残された者たちは一生抱え込んで残りの人生を生きてゆくのだということに、死に行く者たちはついに気づくことはないのだ。人は、絶対に独りで生きているわけではないのに……。