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リアル・ラウル

 グループH スペイン 3-1 チュニジア

 前の試合で見たラウルは、ちょっと上手いぞ、さすがベテランという感慨とは裏腹に、ストライカーっぽさが消えている印象が、ラウルの青春の終わりを告げているかのようで、やっぱり少し寂しかった。

 でも、この圧倒的にチュニジアの先制点を重く背負って闘った65分間、残り20分でスペインはどうするつもりなのかと心配された矢先、後半から出場したラウルの得点感覚が、長年培ってきたその場所での仕事をさすがに再現して見せた。

 ゴール後の喜びの表情がスローで何度も再生される。やめてくれ、スイッチャー、涙が滲むじゃないか、と叫びたくなるくらい、鳥肌が立った。続いてフェルナンド・トーレスの見事なゴール、最後のとどめのPKと、スペインは残り20分でチュニジアを圧倒してみせる。

 さすがにこのドラマチックさは心に響く。TV画面に映るチュニジア・サポーターの呆然とした表情、悔しげな涙は、同じ3-1で逆転された日本の比ではなかった。日本が恥ずかしくなるほどにチュニジアは立派な戦いを挑み、スペインは、自国の誇る世界最高のリーグでいつもワールドクラスの世界選手を相手どることで、どの国よりも遥かに鍛え抜かれている経験とタフさで、その目に見えぬ力をこうした大舞台でさらけ出したのだ。スペインの選手たちはとても地味だが、トップで戦う者たちであり、65分間主導権を取り続けたチュニジアにはワールドカップという舞台でのある恍惚の時間を確かに獲得していたのだ。その恍惚の夢に領された時間は、日本の対オーストリア戦のリードタイムで流れた時間とは、あまりに違いすぎると思う。日本は、チュニジアのようにも、韓国のようにも、未だワールドカップの核に触れていないように思える。

 ワールドカップの核とは、例えばあの瞬間ゴールを奪える位置に走りこんだラウルの姿であり、タイトなマークの中でゴールネットにボールを叩き込む、瞬間の芸術のような動きそのものである。どんな映画よりもサッカーという試合をドラマチックに仕立て上げる、選手の背景、歴史、挫折、踏ん張り、再生の姿なのだ。そんな思いの中でぼくは永いことこの試合に震え続けたのだった。