惨憺たる結末 その二 戦術の傲慢
清水 2-1 浦和
「つきっていうやつは、いつかは落ちるものさ」とは、ダーティ・ハリーのクライマックス・シーンでの決めセリフ。
家本主審の性格の屈折がそのまま顔面に張り付いたような表情をブラウン管で確認して、ああ、イエロー大王だと覚悟はしたものの、一試合二桁のイエローが本当に出て、二人もレッズから退場者を出して、PKではなくシミュレーションの判定は毎度毎度のデジャブだし、と、さすがにこの手の審判では試合は一筋縄に行かなくなる。
ただこの審判、癖が悪いのは有名だが、どちらかに肩入れする審判でないこともはっきりしている。どの試合でも確実にぶち壊しにするし、ボールの流れなんてどうでもいいくらいに流さず確実に試合を止め、自分の瞬間を楽しみまくる。どちらのチームであろうと、容赦なく、いじめまくるのだ。何万だろうとその観客をおちょくるような薄笑いを顔面に張り付かせたまま。
だから清水がこの審判をものともせず(一部、PKシーンなのでの不満はあろうが)勝ちにこだわりに行ったのに対して、浦和レッズは自壊していったということで、試合への負けは負け。つきというのにも見放されたゴールマウスへのシュートも確かにあった。しかし、それ以上に得点の決定機を山積みしておきながら、それを決められないレッズの傲慢というものが、どこかにあったというのも確かなことのような気がする。
終盤に取った三つのハイタワー&放り込みの戦術は、パワープレイの典型だろうが、傍で見ていれば、サイド攻撃の方がよほど相手を脅かしていたように見える。同じハイタワーを生かすのでも、後ろからのロングフィードのみで打開しようとしたラストの15分は、到底見込みがないように見えた。レッズの持つ丁寧なパスワーク、ボール回しが、審判への不満や、常に追いかけてゆく心理的ストレスの中で完全に失われていったからこそ、縦の真ん中に向けたボールの供給ではなく、一度はサイドに展開し落ち着かせることが必要不可欠であった気がする。
いくら優秀な選手を並べていても戦術が強引であれば、確率は減衰する。選手の能力に頼らず、あくまで戦術ありきのチーム作りをしないことには、レッズは肝心のところで弱さを露呈することになりかねないのだ。
数節に渡って感じてきた危機意識が、ついに結果を伴ってかたちになってしまった。