シュンの日記なページ

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ずっと何かを目指してきた

 風邪で不調なのに、寝不足なのに、ゴルフ・レッスンへは、毎週、やってきてしまう。打ち込む先は芝ではなく、まだ雪の原。前方に火星。頭上には月。この環境がどうも気に入っている。

 そういえばぼくの人生、何らかのスポーツをやっていないことはなかった気がする。二十代では山登り一辺倒。

 三十代前半は、まだ産声をあげたばかりのフィットネス・クラブというやつに通っていた。後楽園に週三回通い、ランニングマシンで1時間走った後、マシン・トレーニングを3セットやって、サウナとジャグジーを使うと、3時間ほどが経過する。その帰りに、クレイジー・アップルという店で生ビールを飲んだ。ビートルズの曲しかかからない店だが、清楚なウェイトレスがいて、とても感じのいい時間を過ごした。

 三十代後半には、Jリーグが始まった影響もあって、自分も草サッカーを開始した。最初はフットサルのリーグに参加した。日曜日の早朝、わざわざ柏にまで通って半年間続けた。その後札幌に転居するまで、フルコートの草サッカーを毎週日曜日に朝9時から1時くらいまで、馬鹿みたいにやった。狂騒の時代だ。

 四十代で札幌に来て、しばらくはスキーくらいしかやることがなかった。45歳でスノボを覚えた。毎週土曜日に最低二時間を滑り、午後には麓へ下る。10回ほど通って、スノボのスラロームに関しては自分のものとした。

 そして三年前からいきなりゴルフ再開。レッスンプロについて、1年3ヶ月と、やはり根気よく続けている。

 何かを一定のレベルまでマスターしたい。そういう意欲が強い。ずっと何かを目指すことで、日常が楽になる。いつの頃こんな性格が身に付いたのか、よくわからない。

 きっと中学校時代の卓球部のしごきに耐えた経験だったろうとぼくは思う。20人以上の部員がしごきで振り落とされ、最後には3、4人となった。やっぱりその時代から、ぼくはそこにいた。

 FADVにだって、まだぼくはいる。根気だけは負けない、と言い続けてきたわけではないけれど、何故か、自然にそうなってしまう。不器用だから、簡単に卒業することができない、というだけの話のような気がするけど。