シュンの日記なページ

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このタイトルの意味

 ゼロックス・スーパーカップ 浦和レッズ 3-1 ガンバ大阪

 こういうタイトルにぼくらはどんな意味を見出したらいいのだろうか? と常に思う。リーグ戦とカップ戦の優勝者を競わせるのならば、なぜJリーグ・カップヤマザキナビスコカップ)の優勝者を加えて三つ巴のリーグ戦にはしないのか?

 もちろん事情はある。シーズン開始一週間前という日程。ほぼ9割の仕上がりと見込んでの日程であるのかもしれない。これより前には各チームキャンプを張り、調整・仕上げにかかっているだろう。これより後では新シーズンが開始してしまうから、前年度の覇者が争うタイミングとしては遅すぎる。そんな最初から無理のあるスケジュールを、この日程に入れ込んだのは、やはりJリーグの記念試合を1ゲームでも多く開催して、メディア対策、増収益、宣伝効果といったところに食いつきたい一心からだったろう。

 そもそもこういうカップ戦がなかったとしても、各チームは、シーズン直前に、そこそこ有料での練習試合を組んできたではないか、という言い分があるかもしれない。それならリーグ側がもっと盛大な練習試合を組んであげるのも悪くない、といったあたりが、主催者たちの考えた着地点であったかもしれない。

 そういう気配が濃厚な上、この日程の前後を、とんでもない過密スケジュールで代表選手たちは動かされている。ワールドカップ出場国の贅沢な悩みであるのかもしれない。これが世界のサッカー、と言われればそれまでだ。そう言えば、ヨーロッパのビッグチームはリーグ戦もカップ戦もどちらも獲るというような高望みを、まずはやらない。むしろどちらかに照準を合わせて選手のコンディションを整えてゆくという傾向が強いのも、こうした過密日程に慣らされているからなのだと思う。何しろ100年を超える歴史を持つチームがずらりと揃っているのがヨーロッパだ。

 そういう意味では、まだまだ産声? と言いたくなるのが、このゼロックス・スーパーカップという風景。毎年、スケジュールやルールが変わってゆく上に、トヨタカップが昨年から妙な形で全大陸的なものに変わり、Jの目標は、今や世界に通用するビッグチーム作りという方向に向かっているかに思われる。そのビッグチーム候補として既に報道されているのがレッズとガンバ、なのである。TVでは、頻りにこの2チームを日本を代表するビッグチームだと騒いでいる。今日のそのオンブズマンが、かつてのヴェルディ所属、武田と北澤なのだから、日本サッカーの歴史の変遷を知る者にとっては実にたまらない皮肉だ。

 え? いつの間にそういう扱いにされているの? と当惑やまないのは、我らサポーターの側である。レッズはJ2に降格したことのあるチームである。そもそもレッズには、生粋のレッズ選手が沢山いて、彼らはレッズで闘える限り自らレッズを去ろうとはしないし、もし去ったとしても岡野のように戻ってくることがある。あるいはコーチという年齢になって戻ってくることも。サポーターに愛されてきたレッズというチームは、実は選手たちにも、とても愛されるチームだ。外人助っ人選手たちの多くが、レッズというチームに影響を受け、母国にレッズへの愛を持ち帰る。サポーターの愛をおみやげに。大抵は涙とともに。

 そうした文化を創ったのは、何年経っても勝てずにいたあの頃の選手たちであり、それを一緒に泣きながら応援してきたサポーターたちである。ぼくらは、その辛い時代からチームの未来のことばかり考えてきたし、応援の工夫だって競って挑んだ。メディアやネットに積極果敢にレッズを変えるための意見やアイディアを持ち込んでは、それを徹底して互いに叩く。試合を熱狂と冷静の混沌の中で観戦するが、選手たちに魂を叩き込みたいがために声を涸らることは惜しまなかったつもりだ。

 その中で育った選手たち……。例えば、フェンスの向うに名無しで走り抜けていたカモシカのような岡野の姿をぼくは覚えている。地味で目立たない山田が、永井に群がるコギャル・サポーターを尻目に練習場を後にする姿も。パイプ椅子に座ってぼくの大学ノートにサインをしてくれた福田を(その翌日名古屋に雨の中5-0でレッズは惨敗したのだった)覚えているし、鴻巣グラウンドでサテの試合を闘っていた内館の姿も。

 札幌に移住してからは、さすがに練習風景を見る機会はなくなった。だけど、ネットのどこかで発信してくれる誰かが常にいる。ぼくは、それを丹念に読む。育ってゆく長谷部の姿を。ブラジルから帰ってきた闘莉王の姿を。また未だ見ぬ若手のベンチメンバーたちの必死の姿を。

 それらの長い長い物語の結果が今日の試合に現れているのだ。一瞬の光に包まれてはいるが。ワシントンの個人史を新しいレッズの歴史に合流させながら。小野伸二のレッズで新しいページとして繰られながら。Jの設置したビッグな練習試合として。金のかけられたリーグ直前の実戦テストとして。トロフィーは、この場合、おまけに過ぎない。今年はいくつのホンモノのトロフィーを獲得し、世界に翔けるのか? そんなビッグなテーマを日の光に翳して確かめる一日として用意されたのが、今日の戦いであり、今日の勝利であったと、ぼくは考えている。