シュンの日記なページ

当別町スウェーデンヒルズ移住者 ブックレビュー 悪性リンパ腫闘病中 当別オジサンバンドOJB&DUOユニットRIOのVocal&Guitarist ツアーコンダクター 写真 スキー 山 田舎暮らし 薪ストーブ

金メダルの栄光

 トリノ・オリンピックは終幕を迎えようとしている。日本に、ようやく念願のメダルがもたらされただ。まさしく終盤間近に。

 フィギュア女子スケートは、選考そのものにも問題があったと言われている。ここのところ調子をどんどん崩してゆく安藤美姫を、中野友加里というここ一年最も実績のあった人に代えて選考した結果について、チョコレートのCM出演選手三人を、スポンサー向けに連盟がどうしても選ばざるを得なかったのではないか、などというまことしやかな噂が囁かれた。

 選考の話題として紙面を連日賑わしたのは、安藤であり、村主であり、中野であり、ましてや浅田真央であったが、そういったメディアに見え隠れする揺らぎをほとんど苦にせず安定した実力で選出された人が荒川静香で、この人の選考だけは実は多くの国民が問題なく納得していたのではないかという風に今でも思える。そうした安定感がついには本番でもたらした心の平安。それが、いい意味での緊張を氷上で昇華させたのに違いない。今回の金メダルは。

 1998年、長野五輪が開催された前年9月。北海道はたくぎんの破綻という前代未聞の経済危機に見舞われた。ぼくが北海道に移住したのが1996年だから、たくぎん破綻に続く連鎖倒産の破壊的な影響が道内の各所に響き渡ってゆくのを身近なこととしてぼくは日々の切迫感を感じ取り、それがちょうど長野五輪をピークにしていたことなども、記憶に深い。

 その長野五輪では、日本人選手が金5、銀1、銅4と、今では考えられないほどのメダルを獲得したのだ。しかも、その時のヒーローたちのほとんどが北海道出身者で、道民の誰もが、不景気の底にある立場から、心を一瞬でも輝かせてくれる栄光の祭典を歓喜とともに深く味わった。

 ぼくの年齢であれば、東京オリンピックというものは、その後のバブルまで連綿と連なる高度経済成長の最大のステップ台として記憶に深いのだが、北海道の経済危機のなかで開催された長野五輪歓喜が道民に与えた救済感ということを思うと、ぼくにとって、あの長野は、東京や札幌五輪に比べて、ずっとずっと感覚的に近しく、心に迫るものだ。

 そうした見る側の思いもなく、メディアの放映権争いに煽られたようなかたちで開催されたトリノ五輪は、まるで酒のつまみにまで貶められているかのように今では思える。現にトリノ五輪はイタリア国内では、トリノ市以外では、ほとんど関心を持たれていないらしい。報道も寂しいものだという。イタリア国民のことだから、思うに、もっぱらサッカーセリエAの今シーズンの行方に目を向け、おらが町のチームをだけ応援しているのだろう。ぼくが、小野伸二の戻ってきた浦和レッズにばかり気が引かれてならないのと同様に。

 さて、しかし、そんなメディアの愚かな動きとは何の関係もなく、日々を鍛え、修練する選手たちの思いは、全然別物であるとぼくは信じている。上村愛子が、もはやトリノを尻目に、日本選手権フリースタイル・モーグルで優勝を果たしたというひときわ新しい事実は、そのことを鮮やかに物語っているのではないだろうか。