シュンの日記なページ

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女性観について

 日本酒をたらふく呑んだ。酒飲みの主人公のシリーズ新作(東直己のあれです)を久々に読んだ影響で、すすきのに行く代わりに、TVでKUNOICHIを見ながら冷やおよび熱燗を注いだお猪口を傾けていたのである。

 KUNOICHIの見所は、何と言ってもアイドル・水野裕子。彼女が格闘技でガチンコの試合をしたファイトとかいう番組だったかで、彼女の闘う表情の魅力に、ぼくはすっかり惚れたのだ。

 そういう気配が伝わるのだろうか、妻は、水野裕子をぼろ糞にけなすのである。「可愛くない」「男みたいだ」「レズだよ、きっと」等々。妻は歳とともに年々口が悪くなり、批判力がレベルアップしてゆく。もともと、女性を観たときの感覚は、あまりぼくと一致するほうではない。

 いや、妻ばかりではない。世の女性とある女性に関する見解を話して一致する、ということがあまりない。多くの周囲の女性が賛美する同性よりも、彼女らがけなす同性の方が往々にして魅力的であることが多い。もともと見るときの主体が違い、主観が違うのだ。

 外見から生じる嫌悪感が(美醜どちらでも発揮されるのが不思議だ)、優れた資質(知性であろうと運動能力であろうと)までをも悪意のオブラートで批判的に包むとき、ぼくは大抵の場合口を噤むことにしている。ぼくの場合、議論するほどには彼女らの資質にこだわっているわけではないからだ。ただ、外見の美しい女性が資質を備えて、何かをブラウン管の上に見せてくれる時には、論理を超えて、見たいという欲望が自然に働くだけだからだ。街であれ、どこであれ、美女とすれ違うときにその姿に見とれるということと、その本質はあまり変わらないように思う。だから女性が批判するときに必ず添える理由づけ、というものが理解できないばかりか、その判断を受け入れることもできない。

 美味しい酒をたらふく呑んでしまう自分がいるだけのことなのだ。何とシンプルな構造であることか!