シュンの日記なページ

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古い山仲間からのメール

 10月第一週の日曜日は、谷川岳で遭難者の慰霊祭があり、これに合わせて、ぼくの所属する山岳会は一年に一度の集合をする。所属する山岳会と言ったって、皆、高齢になり今ではすっかり同窓会みたいなものなのだが、ぼくは何せ30年近く参加していない。岩を攀じた後、沢のせせらぎを聞きながら、テントを張って酒を飲むだけのささやかだが、たまらなく盛り上がる山男・山女たちの宴だ。

 20代前半の頃、多くの先輩に囲まれてぼくは学生だった。ほとんどの人は勤労しながら、休日を毎週山で過ごすのだった。

 数年前にぼくのホームページを探し当てた先輩の一人が、毎年この慰霊祭への案内状とデジカメ写真を、ぼくにメールで届けてくれる。古い先輩たちの(50代がほとんどだ)懐かしい顔を画像を通してぼくは見ることができる。一ノ倉烏帽子奥壁にて墜死した先輩K氏の両親の年老いた姿を見ることができる。多くの友人らによって手向けられた花束を見ることができる。

 久々に自分が編集した山岳会会報K氏追悼号を読み、山に夢中になって命をも賭した日々を懐かしんでしまった。

 大学山岳部の山仲間のほうも、始終いろいろな若い後輩たちから同報メールが送られてくる。他のスポーツではどうなのか知らないが、山の仲間ほど一生離れがたい友人たちというのは他に例がないのじゃないかという気がする。ほんのひとときの山でのアンザイレンを通して知り合い、山仲間は残りの長い人生を、それぞれ散り散りになりながらも、連絡を取り合い、再び会おうと試みる。

 一生、自分の中で忘れることのできない特別な経験、あの特別な時間だからこそ、それをともに生きた仲間たちだからこそ大切で仕方がないのだろう。山に夢中になって他の何も見えなくなっていたあのひたむきな時代を懐かしみ、これを宝に今を生きるからこそ、互いの顔が忘れ難いのだろう。

 札幌からは遠く、なかなか毎年の慰霊祭に顔を出せないでいる。ぼくの中では、しかし谷川岳のあの山容は今も生きている。あの時ぼくに山の技術をとことん叩き込んでくれたK先輩の無骨な笑顔とともに。そしてK先輩が山仲間を30年後の今も、毎年ひとつのところに集めてくれていることへの感謝とともに。

 二十数年前の正月、西穂高岳山頂でK氏と握手を交わしたときに滴り落ちたぼく自身の涙が今記憶の中でよみがえる。BCから迎えに出てピッケルを大きく振ってくれたT先輩の暖かさがよみがえる。ぼくの消息を追跡してホームページを発見してくれたのもこのT先輩である。K先輩を悼むための慰霊祭へのお誘いメールが毎年届く。さらに、行けなかったぼくに対して今度は写真が毎年届く。

 こんなとき、ぼくは思わず二十歳の頃の自分にすっかり戻ってしまう。いろいろな思いが込み上げる。わけもなく。