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スペンサーは「初秋」まで

 スペンサーは「初秋」まで、というのが定説だったのだそうだ。どういう世界で定説であったのかは知らないが、少なくとも吉野仁の日記ではそういうことになっていたみたいなのだ。ではその後パーカー読みを再開して今それを楽しんでいるぼくは、彼らと違うどういう種族だというのだろうか? 

 吉野仁氏は、評論家集団のエセ論理への怒りと矛盾感からここのところ立て続けに海外ミステリへの彼なりの態度、姿勢というようなものを表現しようとしているように思う。そのこと自体にはぼくはとても共感を覚える。好ましくさえ思う。だが、そうした主旨の文章の中で、その勢いのあまり、ミーハーに読まれるようになったパーカー、お洒落なパーカー、バブリーなパーカー、パーカーは「初秋」まで……というような、まるで完了した歴史に対する冷ややかな客観が、この素晴らしい評論家に、断定口調もどきという混乱を起こさせる。これは、ぼくにはちとショックである。

 根本には好きな作家をけちょんけちょんにけなされたことへの悔しさ、というのはある。ぼくは立派な成人ではないから、とても悔しいし、何だか残念でならない。だが、それだけでは大人気ないので、少し論理的に(自信はないけれども)このことへの懐疑を言い表してみたいと思う。

 吉野氏は、一連の日記のなかで、それぞれ好きな作品をそれぞれの感性においてリストアップすべきであると「このミス」アンケート投票への態度を豪語していたのだが、その一方で、パーカーは「初秋」まで、というような、とても最大公約数的な画一的線引きのあったある時代を今も容認しているように見える。観念(公式?)に、自ら囚われてしまっているように見える。このようなことは、この小さな業界に生きている人たちによくあることなのだろうか。

 観念は、評論とは対極にあるもの、とぼくは思う。ましてや頭数によって支えられた論理は、論理というよりは信奉に近い観念ではないか、とも。読書なんて、実は少数者、いや、個人、つまり主観で捉える感触なのあって、これをいかに普遍化して語り合う素材に変えるかというのが、ひとつには文芸評論なのであって、評論の向うには、いつも評論家という個性があるべきだと思っている。そうでなければ、ぼくは評論というものにあまり意味を感じないのである。個性を捨て、多勢により下された決議への安楽に、自ら身を委ねたところで評論とは確実に死ぬ……。などと、ぼくは思うのですけれどね。

 読書の愉しみは、個性・感性が反応した結果である自らの好悪感情と他者の違った評価とのゆがみにこそあるのであって、ある公式のようなことを言い出したときに、対話は終わってゆく。評論家は、公式を口にした途端に、多くの味方を呼び寄せるかもしれないが、逆にある種の人々からそっぽを向かれ、愛想をつかされるはずである。
 
 評論家の公式に沿ってしか、判断を下せない人はもちろん世の中に沢山いるから、評論家という存在は必要なのだという理屈も成り立つことはあるのだろうけれど、それはそれで別の話だろう。

 さて整理して何が言いたいかというと、吉野氏はパーカーを批判してもよろしい。パーカーは「初秋」までで、その後は普段ミステリを読まない種族によって指示され、今では愛想をつかされている。そういう評価であってもぼくは別にかまわない。しかし……

 この時期、すでにそれまで読んでいたファンでさえ(ファンほど?)、「スペンサーは『初秋』まで」と言って、ハードボイルド私立探偵小説マニア連中の評判は、そこそこだった覚えがある。その二、三年後にはすっかり見限られていた。

 という複数形の主語(ハードボイルド私立探偵小説マニア連中)によるパーカー論とは、果たして如何なものだろう? こうした複数形を主体に、パーカーという個人の作家活動ををある距離を置いたところから断定(あるいは推測する)表現は、どんなものなのだろうか。

 みんながそう言うから。みんなが好きだから。みんながもう飽きたから。

 やっぱりぼくは、こうしたものの考え方にはとても賛成できないのである。