シュンの日記なページ

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市場の朝

 市場で朝飯をチョイスするというのは、ぼくには、この上ない贅沢なことのように思える。東京で東銀座あたりに宿を取った朝は、早起きをして、ぼくは築地の場外市場に繰り出して、朝食を物色することにしている。

 一日目の朝は、マグロ丼700円也。岩海苔の味噌汁100円を追加。隣では関西弁のサラリーマン二人が、同じようなメニューに(一人はマグロ&イクラ丼だったけれど)、ウニを一折800円で追加し、共同で箸を伸ばしていた。横目でそれを見ながら、思わずごくりと喉がなりそうになり、仲間を誘い出せばウニを共同で食べることができたな、と後悔した。

 二日目の朝は、ホルモン煮(要するにモツ煮込み)+ご飯、であった。ほぼ同時に若い娘が一人同じメニューを注文しているのに、ちょっと感激する。気取らない東京がここに確実にはあるのだな。

 道路に面した店の正面には三つしかカウンター椅子がない。うち、一つは朝からモツ煮+ビールを呑んでいた巨体&スキンヘッド(剃っているのではなく、ただのナチュラルな現象かもしれないが)のおじさんが、ちょうど日本酒に切り替えたところだ。

 ぼくと娘さんは、歩道の対面、端っこに用意された簡易立食テーブルみたいなところで、向かい合ってモツ煮を掻きこみ始めることになった。よく晴れた東京の朝、早足の通勤客に仕入人のバイク、タクシー、トラックと、日本人観光客に混じって外国人の姿などもある。とにかく多くの人や車が往来している。

 ホルモンには年季の入った鍋でぐつぐつと煮込んだ味噌の味がよく沁みていた。およそ半世紀前、市場で母親を待たされる間よく食べたモツ煮込みの、味の沁みた甘辛さが、舌の上で蘇る。

 あの頃は夕食のおかずを買いに出かけるとき母親は「市場へ行く」と口にしたものだった。高度経済成長期の入り口に差し掛かる時代。市場は活気があり、たいていは人でいっぱいだった。その人ごみのさなかで、大人たちを見上げながら、モツ煮込みを啜っていたかすかな記憶。

 ぼくは煮込みを食べ終わった。向き合って立ち食いしている娘さんは、何度か水をお代わりしてまだ果敢に、ホルモンの盛りの多い丼にチャレンジを続けていた。昔ながらの東京のホルモンは、今どきの若い娘には少しばかり濃すぎる味であるのかもしれない。