シュンの日記なページ

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Another Tokyo

 東銀座に宿泊する機会が多いのだけれど、銀座三丁目から東側というのは、どこか銀座にして銀座にあらずという、気取らない雰囲気がある。この辺りは、いわゆる、とても古い都会だ。一つには築地市場に隣接しているというのもあるだろうけれど、さらにこの辺り、古い店が長く残っているというのも、ひとつの特徴だろうと思う。

 例えば、銀座三丁目交差点のカレー専門店「ナイル・レストラン」は、ガンジーとともにインド独立戦争(戦争ではなく革命といったほうがよいのか)を戦った革命家のナイルさんが亡命の後に出した店であると言われている。ナイルさんは、生前にはいつも、太った体を店先で静かに休めており、浪人でバイト生活を送っていた頃のぼくは、土曜日のランチをよくここで摂ったものだ。当時、インドの本格的なカレーなんて、世の中のほとんどの人が食べたことさえなかったから、ぼくはよくこの店の味を、話題に晒したものだった。

 革命に関するナイルさんの分厚い著書が、店内で販売されていたことも覚えている。当のナイルさんに、本そのものを薦められたことや、頭の悪いぼくが洋書に辟易して断ったことなども。
 ギーで揚げた麦煎餅を手で割って口に運んではビールを飲んだ。夏の暑い一日にはこれがとても沁みた。辛いカレーやタンドリー・チキンを食べ、食事の後にはコーヒーとアイスクリームなどを、インド人ウェイターの薦めるままに楽しんだ。そして店を出てからは界隈の名画座に乗り出すのが、ぼくのその頃の土曜の午後の楽しみ方だった。

 その店はまだ、同じ場所にあって、当時ですら古かったテーブルたちこそ新しくなったものの、空気、味、価格そのものはほとんど30年前と変わっていない。亡くなったナイルさんの不在が、重く感じられるだけだ。それでも、当時よりこの店はずっと繁盛している。インドカレーの味だって十分に普及したんだから、そのこと自体には何の不思議もない。

 今回の出張初日、仲間三人と繰り出したのは、歌舞伎座の並びにある小さな中華料理店だった。昨年の出張の折、雨の中、ナイルレストランは外までカップルで行列になってしまっていたから、濡れるのを避けて飛び込んだ店がここだった。料理が美味しかったことも記憶にあった。

 一年経った今も、この店は出てくる料理が、どれも美味しかった。その上、銀座の一角にあるとは思えないほどに良心的な値段だ(ちなみに札幌郊外にある近所のどの中国料理店よりも遥かに安い)。

 そして何よりもレジに座るお婆ちゃんが素晴らしい。美味しいというぼくらの自然な言葉に反応してくれるし、何よりも下町的な会話が楽しめる。50年間、ここで店を開いている人の口から出てくる中国語訛りの残る言葉には、ずっしりと重みがある。

 残ってしまった紹興酒をビニールでしっかり包んでくれたのもお婆ちゃんだった。閉店まで残ったぼくらを、夜更けた晴海通りに暖かかい言葉で送り出してくれたのも。

 この界隈には子供の頃からぼくの知っている馴染みの東京が今も残っているのだった。トレンディドラマなどでは決して出てこない東京が……。