mixiからの撤収
羽田から夕方の便で札幌へ帰る。たまたま社長と一緒なので公費でスーパーシートに座ることができたけれど、今はSSでもコーヒーカップは紙コップなのだな。世知辛さは雲の上にまで及んでいるのだと、唖然とする。
さて、mixiを約一ヶ月強に渡って使い、ぼくなりに一通り遊んでみたのだけれど、自分が果たしてこういうサイトを必要としているのかどうかという疑問に突き当たってしまった。
確かに日記へのレスポンスなど、最初のうちは多少はあったけれども、ぼくの文章スタイルのせいか、ぼくの醸し出しす排他的な雰囲気(本意ではないのだが)のせいなのか、次第にmixiのシステムに馴染めない部分が明確になってきた。
ひとつには、勧誘加入形式の割には、多くの不特定多数と言ってしまって構わないほどの人が集まってくることへの恐怖感。集まってくるのは構わないし、それは「はてなダイアリー」だって@niftyのフォーラムだって同じことだ。でも不特定多数の人との間が気軽に肩に触れ合ってくるあまりにも気軽な雰囲気というのが、ぼくなりの人との距離感に抵触するみたいだ。基本的に距離感が守りきれないmixi特有の親密さ(もちろん錯覚に近い親密さなのだろうけれど)は、ぼくの中で寄る辺のない不安を醸し出す。
馴染みにくかったもう一つの部分は、フォーラムや「はてな」のように、延々と自分の書いたログが残っていってくれないこと。気軽に過去の記述への再接触や検索ができないこと。「はてなダイアリー」には、いつでも日記を本にしてくれるサービスもあれば、EXCEL形式で出力してくれるデータ化しやすいサービスがあって、何とはなしに喪失に対する安心感が与えられている。フォーラムの方も、自動巡回ツールにログが残ってゆくから、これも、従来のパソコン通信同様に安心して委ねられる何かがある。
そこへゆくと、mixiはとても刹那的な交流世界みたいに見える。プレミア会員としてお金を出して居座る事を考えない限り、やはり本格的に腰の据わらない不安定感が感じられる。ログは電子の藻屑となってどこへ消えてゆくのだろうか。あるいは誰か知らない人の金庫に鍵をかけて収められてしまうのではないだろうか。
また、「足あと」という、訪れた人のニックネームがリスト化されるサービスがmixiにはあるのだが、せっかくの唯一独自のサービスにも、最近では商品価値のある美女軍団がやってくるみたいで、彼女らのページでは、嫣然と微笑む美女が巨乳を見せつけて、他のもっとあからさまに儲けてしまおうというH系サイトへと誘導してくれる仕組みになっているみたいだ。
ぼくがとても物悲しく感じるのは、そういう美女たちのサイトに多くの人が群がってきて、けなげに日記のレスをつけている様子である。
というわけでmixiよりぼくはそろそろ日記を撤収し、今後は限られたコミュニティ内での連絡ごと、と他では会えない旧友へのレス付け程度で利用させてもらうこととしよう。